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<title>フラスコの宇宙</title>
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<description>Materials Warehouse■■■二瓶龍彦Nihei Tatsuhiko</description>
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2114667.html">
<title>『鉄人28号』原作完全版①　横山光輝（潮出版社）／2005年</title>
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<description>鉄人28号　原作完全版　（1）著者名：横山光輝出版社：潮出版社出版年：2008.10ISBN　：EB60020785たまたまＴＶのＢＳをつけたら、劇場映画版『鉄人28号 白昼の残月』（今川泰宏監督）がはじまるところだった。昨年、テレビ東京で『鉄人28号』をやっているのは、これもたまたま見かけることがあった。『鉄人28号』は、小学生の頃、最も好きだったアニメ。当時、手塚治虫の『鉄腕アトム』と人気を二分していた。鉄人とアトム、どっちが強いかで、けんかまでしていた子もいた。僕は、鉄...</description>
<dc:subject>漫画/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-10-30T22:28:29+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spne0001.co.hontsuna.com/article/2018216.html" target="_blank">鉄人28号　原作完全版　（1）</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spne0001.co.hontsuna.com/article/2018216.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=EB60020785" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：横山光輝<br />出版社：潮出版社<br />出版年：2008.10<br />ISBN　：EB60020785</td></tr></table><br /></blockquote><br />たまたまＴＶのＢＳをつけたら、劇場映画版『鉄人28号 白昼の残月』（今川泰宏監督）がはじまるところだった。<br />昨年、テレビ東京で『鉄人28号』をやっているのは、これもたまたま見かけることがあった。<br />『鉄人28号』は、小学生の頃、最も好きだったアニメ。当時、手塚治虫の『鉄腕アトム』と人気を二分していた。鉄人とアトム、どっちが強いかで、けんかまでしていた子もいた。僕は、鉄人派だった。<br />それでも、これといってリメイクには興味がなかった。<br />だが、『鉄人28号 白昼の残月』は、最初から衝撃的だった。<br />現在、昭和30年代ブームといわれる。それは、戦後の焼け野原から立ち直り、高度成長期へと向かうロマンチックな風景で成立している。<br />だが、それは本当の姿だろうか。<br />ほとんどの人間が戦争にかかわり、なかにはアジア諸国で残虐な行為をしていた者もたくさんいただろう。そして、一方では戦争の亡霊がうごめきはじめていた。<br />昭和30年代のレトロブームは、完全に被害者の物語を土台にして成立している。<br />加害者としての物語は、見事に隠されている。<br />だが、この映画に描かれている昭和30年代は、まったく違う。<br />僕の記憶では、あくまで鉄人は悪者どものつくったロボットと戦う正義の味方だった。<br />だが、この映画では、鉄人は前大戦の日本の最終兵器として開発されたものであり、そして他の登場人物たちも何らかの戦争の傷を背負っている。<br />実際、前大戦末期、日本は一発逆転の兵器をもっているという噂が流れていた。その証言を何人もの人から聞いた。<br />どこまでが原作通りなのか、確認するために本書を購入した。<br />原作でも、鉄人は前大戦の最終兵器として開発されていた。<br />映画では、原作と違って大きく物語をつくっているが、もしかしたら原作者の横山光輝の戦争への思いを最も反映しているのかもしれない。<br />あっというまに、今川泰宏監督のファンになってしまった。<br />音楽を担当したのは、伊福部昭。<br />ゴジラのテーマ曲で有名な伊福部さんだが、鉄人で使われた曲がまたいい。<br />もともとは、アイヌのリズムで書かれた曲。<br />今一度、この昭和30年代ブーム、そしてこの国の戦前、戦中、戦後を見なおすいい機会かもしれない。<br /><br />手元にある鉄人28号関係の書籍は下記の通り。<br />＊	『鉄人28号』原作完全版②（潮出版）2005年
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2113480.html">
<title>『風の王　砂澤ビッキの世界』柴橋伴夫（響文社）／2001年第2刷</title>
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<description>風の王著者名：柴橋伴夫（著）出版社：響文社出版年：2001.03ISBN　：97848779900532008年7月に、舞踊家の麻生アユミとアイヌをめぐる作品『オラトリウムの森から』をつくった。それで、アイヌに関する資料をいろいろ読んだのだが、おそらくアイヌ民族として最も過激に抵抗した人の名をあげるなら、木の彫刻家、砂澤ビッキだろう。しかも、彼はひとりで抵抗した。砂澤ビッキは、昔から最も好きな彫刻家のひとりだった。本書は、渋澤龍彦をはじめとするビッキの意外な交友も含めて、ひと...</description>
<dc:subject>美術/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-10-28T17:30:29+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn52841.co.hontsuna.com/article/466606.html" target="_blank">風の王</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn52841.co.hontsuna.com/article/466606.html" target="_blank"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/231.jpg" alt="231.jpg" width="91" height="130" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：柴橋伴夫（著）<br />出版社：響文社<br />出版年：2001.03<br />ISBN　：9784877990053</td></tr></table><br /></blockquote><br />2008年7月に、舞踊家の麻生アユミとアイヌをめぐる作品『オラトリウムの森から』をつくった。<br />それで、アイヌに関する資料をいろいろ読んだのだが、おそらくアイヌ民族として最も過激に抵抗した人の名をあげるなら、木の彫刻家、砂澤ビッキだろう。<br />しかも、彼はひとりで抵抗した。<br />砂澤ビッキは、昔から最も好きな彫刻家のひとりだった。<br />本書は、渋澤龍彦をはじめとするビッキの意外な交友も含めて、ひと通り追っている。全体像を知るという意味ではよいかもしれない。<br />この本のなかにもしばしば名前が登場する現代美術家の岡部昌生さんと、先日飲みながら話した。<br />ビッキの名前を出したとたん、岡部さんの表情が変わった。非常に厳しい顔になる。<br />岡部さんは、ビッキが亡くなった直後、ビッキのアトリエに入り、そこにある作品をはじめとしてビッキの使用していたものを、フロッタージュという方法で記録した。<br />その岡部さんの表情の変化ひとつとってみても、砂澤ビッキという存在の大きさ、そして人とのつきあいの濃さがうかがえる。<br />いまでも風雪にさらされたビッキの作品が北海道にある。木彫ゆえに、やがて朽ちるだろう。<br />「風が彫る」<br />ビッキはそう言って、あえて木彫作品を野外に展示した。<br />朽ちる前に、なんとか目撃しなければならない。<br /><br />手元にある砂澤ビッキ関係の書籍は、下記の通り。<br />＊	『砂澤ビッキ－風に聴く』浅川泰（北海道新聞社）1996年<br />＊	『砂澤ビッキ作品集』（用美社）1989年
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2098513.html">
<title>現代俳句の世界６『中村草田男集』（朝日文庫）／1984年</title>
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<description>現代俳句の世界　６著者名：中村草田男（著）出版社：朝日新聞社出版局出版年：1984.01ISBN　：9784022609267縁というものは、まことに不思議なものである。そもそも中村草田男の名は、寺山修司を通じて知った。日本の演劇人のなかで、僕が最も影響を受けたのが寺山修司だった。その寺山修司が10代で歌人として華々しくデビューしたとき、盗作問題が起こった。その盗作された方が、この俳人中村草田男であった。今年2008年、愛媛県久万高原町にある町立久万美術館では、開館20周年記...</description>
<dc:subject>詩歌/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-09-26T19:58:09+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn00042.co.hontsuna.com/article/17973.html" target="_blank">現代俳句の世界　６</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn00042.co.hontsuna.com/article/17973.html" target="_blank"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/230.jpg" alt="230.jpg" width="91" height="130" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：中村草田男（著）<br />出版社：朝日新聞社出版局<br />出版年：1984.01<br />ISBN　：9784022609267</td></tr></table><br /></blockquote><br />縁というものは、まことに不思議なものである。<br />そもそも中村草田男の名は、寺山修司を通じて知った。<br />日本の演劇人のなかで、僕が最も影響を受けたのが寺山修司だった。<br />その寺山修司が10代で歌人として華々しくデビューしたとき、盗作問題が起こった。<br />その盗作された方が、この俳人中村草田男であった。<br />今年2008年、愛媛県久万高原町にある町立久万美術館では、開館20周年記念として『万作と草田男―「楽天」の絆』（10/4［土］－11/24［月・祝］）を開催する。<br />この展覧会のための映像作品を、詩人であり、映画監督である稲川方人さんが依頼された。<br />「CLASS OF 1916」<br />伊丹万作亡き後、友人である中村草田男が書いた手紙の言葉と、ふたりに縁のある松山の風景で構成された20分ほどの作品。<br />死者への想いが、時代を越えて松山の叙情のなかで強く立ち上げられている。<br />この作品の音楽を、僕が依頼された。<br />稲川方人監督作品の音楽は、前作のドキュメンタリー映画『たった８秒のこの世に、花を』につづいて二作目。<br />そこで、買ったまま読んでいない本書があることを思い出した。<br />意外にも、カバー装画は現代美術家の宇佐美圭司。少し和風になっていて、妙な感じがする。<br />ところで、今年11月には、同じ愛媛県の松山で、寺山修司作の市街劇が上演される。<br />この作品には、松山在住の大学時代の演劇部の先輩が出演する。<br />寺山修司と中村草田男のこともふくめて、何とも奇妙なめぐりあわせだ。<br />僕はこの展覧会のオープニングで、急遽ミニライブをすることになった。<br />そこで、その先輩とは再会することになるだろう。<br /><br />松山、数十年ぶりに訪れる、母が育った街。<br /><br />「外光や友亡き者の冬の旅」中村草田男
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2079979.html">
<title>現代日本の文学37『武田泰淳』（学研）／1976年19版</title>
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<description>現代日本の文学37『武田泰淳』著者名：武田泰淳（著）出版社：学研出版年：1976年19版この文学全集は、高校に入学したときに一括で買ってもらったもの。文学アルバムもついていて、ずいぶん世話になった。そのなかの一冊、「武田泰淳」の集を、久しぶりにとりだしてみる。アイヌのことを調べていたら、武田泰淳にぶつかった。武田泰淳には、高校時代『司馬遷』を読んだぐらいの認識しかなかった。つまり、中国文学者の印象しかなかった。今回、北海道で教職についていた時期もあることを知った。映画にもなっ...</description>
<dc:subject>文学/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-14T10:57:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn03162.co.hontsuna.com/article/651660.html" target="_blank">現代日本の文学37『武田泰淳』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn03162.co.hontsuna.com/article/651660.html" target="_blank"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/229.jpg" alt="229.jpg" width="92" height="130" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：武田泰淳（著）<br />出版社：学研<br />出版年：1976年19版</td></tr></table><br /></blockquote><br />この文学全集は、高校に入学したときに一括で買ってもらったもの。<br />文学アルバムもついていて、ずいぶん世話になった。<br />そのなかの一冊、「武田泰淳」の集を、久しぶりにとりだしてみる。<br />アイヌのことを調べていたら、武田泰淳にぶつかった。<br />武田泰淳には、高校時代『司馬遷』を読んだぐらいの認識しかなかった。<br />つまり、中国文学者の印象しかなかった。<br />今回、北海道で教職についていた時期もあることを知った。<br />映画にもなった『森と湖の祭り』を書いたこと、その主人公のモデルがアイヌの彫刻家砂澤ビッキということも、今回はじめて知った。<br />残念ながら、『森と湖の祭り』はおさめられていなかったが、『ひかりごけ』は入っていた。<br />読んでみて、驚愕した。<br />この不気味さは何だろう。<br />人を食べるという猟奇的な内容からくる不気味さではない。<br />その猟奇的な事件を見つめる武田泰淳のまなざしが不気味なのだ。<br />批判でもない。容認でもない。ただただじっと見つめるそのまなざし。<br />何かを知っている目。<br />それは、中国民族、その文化を愛した武田泰淳が、前大戦において中国で何をしたのかというところに由来するのではないかと思われる。<br />人を殺すことがどんなことであるかを知っている人間のまなざし。<br />しかも、戦争において人を殺すことを知っている人間のまなざし。<br />ある境界を踏み越えた、あるいは強制的に踏み越えさせられた人間のまなざし。<br />そのまなざしが見つめる人間の姿、戦争の姿、それはただならぬものとなる。<br />同じ戦争体験をしている大岡昇平などでも、何か大きく次元が違うと、恐怖とともに感じさせられる。<br />『ひかりごけ』は、散文から戯曲へと唐突に移る形式をとっている。<br />この唐突な実験は、その実験性よりも、そうせざるを得なかった別の要請を感じる。<br />戯曲の本来もつ危険性まで、むき出しにされた感がある。<br />そして、そこに浮かびあがってくる人間の姿。<br />と同時に、それを見つめる武田泰淳のまなざしが不気味に浮かぶ。<br />そんな不気味なまなざしをより強く感じさせる作品が、この文学全集におさめられている。<br />『審判』<br />まさに、ひとりの日本軍人の中国人殺害が描かれている。<br />前半は、『ひかりごけ』と同じように散文で書かれているが、後半は戯曲ではなく手紙という形態をとっている。その手紙は一度の改行もなく一気に書かれている。<br />その中国の殺人は、極限状態ではない、する必要のまったくない殺人を扱っている。それがいっそう不気味だ。殺人がリアルというより、やはり武田泰淳の不気味なまなざしがリアルなのだ。<br />その闇の奥底からのまなざしは、人間を感じない。<br />大岡昇平はやはり人間の葛藤を描いたといえる。だが、武田泰淳にはその人間的葛藤がない。<br />そのまなざしは、人間のものではない。<br />冷徹な文体が、それを支えている。<br />そのまなざしは、被害者のまなざし、殺される者、今まさに殺されてゆく者のまなざしを知っているまなざしといってもいいかもしれない。<br />殺す者と、殺される者の恐ろしいまなざしの交換。<br />武田泰淳は、呪われた作家だ。<br />読みつづけるしかない。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2078403.html">
<title>別冊太陽『先住民 アイヌ民族』（平凡社）／2004年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2078403.html</link>
<description>先住民アイヌ民族著者名：出版社：平凡社出版年：2004.10ISBN　：9784582944778アイヌ民族の生活、その様式、「ユーカラ」を含む文化、宗教、儀式等々、ヴィジュアル豊かにみせてくれる。入門書としては、手頃かもしれない。ただ、ここで示されている自然とともに培ってきた豊かなその文化を、殺しつづけてきた歴史を私たち日本人はもつということを忘れたくない。それを忘れてしまったとき、加害者であるにもかかわらず、観光客になってしまう。それを忘れなければ、アイヌの文化の豊かさ、</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-09T21:13:18+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn07600.co.hontsuna.com/article/1334863.html" target="_blank">先住民アイヌ民族</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn07600.co.hontsuna.com/article/1334863.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4582944779" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：<br />出版社：平凡社<br />出版年：2004.10<br />ISBN　：9784582944778</td></tr></table><br /></blockquote><br />アイヌ民族の生活、その様式、「ユーカラ」を含む文化、宗教、儀式等々、ヴィジュアル豊かにみせてくれる。<br />入門書としては、手頃かもしれない。<br />ただ、ここで示されている自然とともに培ってきた豊かなその文化を、殺しつづけてきた歴史を私たち日本人はもつということを忘れたくない。<br />それを忘れてしまったとき、加害者であるにもかかわらず、観光客になってしまう。<br />それを忘れなければ、アイヌの文化の豊かさ、そして私たちが殺し、同時に失ってきたものもよく見えるに違いない。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2077094.html">
<title>『ｇｅｎ　掛川源一郎が見た戦後北海道』（北海道新聞社）／2004年2刷</title>
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<description>ｇｅｎ著者名：掛川源一郎（著）出版社：北海道新聞社出版年：2004.04ISBN　：9784894532939掛川源一郎もまた、木下清蔵同様、アイヌを撮りつづけた写真家である。ただ、掛川の場合、その被写体はアイヌだけに限らなかった。でも、不思議だ。掛川源一郎の写真を見ていると、不思議な感覚に襲われる。この感覚は何だろう。例えば、自然とともに生活する人たちがいる。例えば、無邪気に遊ぶ子どもたちがいる。例えば、厳しい山々がある。どれも素晴らしい。その素晴らしさは、どれも共通する。...</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-07T23:48:09+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn07806.co.hontsuna.com/article/1352843.html" target="_blank">ｇｅｎ</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn07806.co.hontsuna.com/article/1352843.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=489453293X" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：掛川源一郎（著）<br />出版社：北海道新聞社<br />出版年：2004.04<br />ISBN　：9784894532939</td></tr></table><br /></blockquote><br />掛川源一郎もまた、木下清蔵同様、アイヌを撮りつづけた写真家である。<br />ただ、掛川の場合、その被写体はアイヌだけに限らなかった。<br />でも、不思議だ。<br />掛川源一郎の写真を見ていると、不思議な感覚に襲われる。<br />この感覚は何だろう。<br />例えば、自然とともに生活する人たちがいる。<br />例えば、無邪気に遊ぶ子どもたちがいる。<br />例えば、厳しい山々がある。<br />どれも素晴らしい。<br />その素晴らしさは、どれも共通する。<br />気配だ。<br />何の気配だろう。<br />それを言葉にするのは、難しい。<br />アイヌの言葉でいえば、「カムイ（神）」というのが、もっともしっくりくる。<br />この「カムイ」というのは、私たちが知っている、あるいは認知している「神」とは違う。<br />生活をともにしている神といえばいいだろうか。<br />あるいは、生活する神。<br />掛川源一郎の写真には、いつでもこの「カムイ」の気配で満ちている。<br />それゆえ、どの写真も優しい。<br />その優しさは、ウェットなものではなく、きわめて乾いている。<br />人間も自然もつつむカムイのその優しさに、魅かれてならない。<br />この写真集には、文化人類学者の山口昌男や写真家の吉田ルイ子などそうそうたる人が寄稿しているが、そのなかに工藤正廣の名があった。工藤正廣氏は、ここでも紹介した『パステルナール詩集』の翻訳者である。全く別のジャンルの人の名を発見することは、なにやらうれしくなる。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2076517.html">
<title>『レラコラチ 風のように　森竹竹市遺稿集』（えぞや）／1977年</title>
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<description>『レラコラチ 風のように　森竹竹市遺稿集』著者名：森竹竹市出版社：えぞや出版年：1977アイヌ民族を代表する歌人三人。すなわち、バチェラー八重子、違星北斗、そして森竹竹市。森竹竹市は、戦時中ということもあって、他の二人に較べてその表現が過激ではなく、それ故評価が低いという側面が伝えられる。はたして、そうだろうか？個人的には、最も普遍性を備え、クオリティの高い作品を残したのが森竹竹市だと感じる。弱いのではなく、深い。激しくないのではなく、遠い時間まで見通せたまなざし。長いときを...</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-06T20:47:20+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『レラコラチ 風のように　森竹竹市遺稿集』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/226.jpg" alt="226.jpg" width="89" height="130"  border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />著者名：森竹竹市<br />出版社：えぞや<br />出版年：1977<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />アイヌ民族を代表する歌人三人。<br />すなわち、バチェラー八重子、違星北斗、そして森竹竹市。<br />森竹竹市は、戦時中ということもあって、他の二人に較べてその表現が過激ではなく、それ故評価が低いという側面が伝えられる。<br />はたして、そうだろうか？<br />個人的には、最も普遍性を備え、クオリティの高い作品を残したのが森竹竹市だと感じる。<br />弱いのではなく、深い。<br />激しくないのではなく、遠い時間まで見通せたまなざし。<br />長いときを経て、それは歴然としたように思う。<br />たしかに、「運動」と「表現」、この関係性は難しい。<br />それは、今も昔も変わらない。<br />「運動」に対して直接的に貢献できるものを、運動家たちは喜ぶ。<br />だが、その直接性が強ければ強いほど、その表現、作品の命は短い。<br />皮肉な関係性だが、互いにもっと広い視野と、もっと長い時間的スパンを共有することによって、それは解決できるのではないか。<br />非常に困難な作業ではあるが、いまの短絡的な世界のなかで、そういった視点は、もっとも必要であり、求められているものではないか。<br />それにしても、アイヌの表現者たちのものは、なぜこんなにも「遺稿集」ばかりなのか。<br />やりきれなさを感じる。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2072670.html">
<title>『遺稿 コタン』違星北斗（草風館）／1995年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2072670.html</link>
<description>『遺稿 コタン』著者名：違星北斗出版社：草風館出版年：199527歳の若さで逝ったアイヌ民族の歌人、違星北斗の遺稿集。違星北斗もまた、アイヌ民族解放を志した歌人である。ただ、やはりバチェラー八重子の歌と同様、その稚拙さは否めない。ただ、散文にはキラリと光るものがある。もし、もっと長く生きていたらアイヌ現代文学を代表する文学者になっていたかもしれない。違星北斗の面白いのは、批判の対象が、差別者である日本人にばかり向けられるのではなく、その差別を受け入れているアイヌに向けられてい</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-29T01:12:52+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『遺稿 コタン』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/225.jpg" alt="225.jpg" width="90" height="130"  border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />著者名：違星北斗<br />出版社：草風館<br />出版年：1995<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />27歳の若さで逝ったアイヌ民族の歌人、違星北斗の遺稿集。<br />違星北斗もまた、アイヌ民族解放を志した歌人である。<br />ただ、やはりバチェラー八重子の歌と同様、その稚拙さは否めない。<br />ただ、散文にはキラリと光るものがある。<br />もし、もっと長く生きていたらアイヌ現代文学を代表する文学者になっていたかもしれない。<br />違星北斗の面白いのは、批判の対象が、差別者である日本人にばかり向けられるのではなく、その差別を受け入れているアイヌに向けられている点である。<br />アイヌとして自らも生きることが困難だった時代、そうすることで自らを励まし、歌を書いていたのかもしれない。<br />人間としても、愛くるしさを感じる。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2072045.html">
<title>『若きウタリに』バチェラー八重子（岩波現代文庫）／2003年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2072045.html</link>
<description>若きウタリに著者名：バチェラー八重子（著）出版社：岩波書店出版年：2003.12ISBN　：9784006020781アイヌ民族出身のキリスト教伝道者であるバチェラー八重子の歌集。初版は、金田一京助の尽力により1931年に出版されている。その際は、写真家掛川源一郎の写真も併載されていたという。キリスト教は、近代においてアイヌ民族のなかで微妙な影響力をもっていた。おそらくそれは、「平等」という概念ではないかと思われる。「旧土人」として差別されつづけたアイヌ民族。それに最初に異を...</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-26T19:56:21+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn00365.co.hontsuna.com/article/167165.html" target="_blank">若きウタリに</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn00365.co.hontsuna.com/article/167165.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4006020783" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：バチェラー八重子（著）<br />出版社：岩波書店<br />出版年：2003.12<br />ISBN　：9784006020781</td></tr></table><br /></blockquote><br />アイヌ民族出身のキリスト教伝道者であるバチェラー八重子の歌集。<br />初版は、金田一京助の尽力により1931年に出版されている。<br />その際は、写真家掛川源一郎の写真も併載されていたという。<br />キリスト教は、近代においてアイヌ民族のなかで微妙な影響力をもっていた。<br />おそらくそれは、「平等」という概念ではないかと思われる。<br />「旧土人」として差別されつづけたアイヌ民族。<br />それに最初に異を唱えたのがバチェラー八重子だった。<br />キリスト教伝道者として、と同時にアイヌ民族解放者としても、立派な功績を残した。<br />もちろん、アニミズムのアイヌ民族の宗教と、キリスト教の相容れない部分もある。<br />熊送りの儀式イヨマンテを八重子は野蛮なものとして批判しつづけた。<br />とはいえ、彼女の実績はまだまだ語り足りないように思われる。<br />だが、歌人としてはどうか？<br />個人的には、まったくいただけない。<br />アイヌに限らず、解放運動などの初期には、あまりに直截な表現がとられることが多い。<br />そのなかに、どれだけ普遍性があるかが問われるわけだが、八重子の歌にはあまりそれを感じられない。<br />彼女の伝道者としての活動に較べると、歌はあまりに稚拙である。<br />日記のような印象。<br />それゆえに資料的な価値はあるかもしれない。<br />ただ八重子の生きた時代、その時代のアイヌ民族の生活、そして何より八重子自身の生涯、これには興味をもたざるを得ない。<br />幼少期にキリスト教伝道師バチェラーの養女となる八重子。この行為自体、違和感を覚えるほど、謎に満ちているように思われる。<br />そして、八重子をとりまく人物たちの相関図もまた、その時代とアイヌ民族の縮図のように感じられ、興味は尽きない。<br />まだまだ調べなければならない。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2070773.html">
<title>『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ　池澤夏樹＝個人編集 世界文学全集　水野忠夫訳（河出書房新社）／2008年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2070773.html</link>
<description>巨匠とマルガリータ著者名：ミハイル・ブルガーコフ（著）　　　　　水野忠夫（訳）　　　　　池澤夏樹（編集）出版社：河出書房新社出版年：2008.04ISBN　：9784309709451面白い。抜群に面白い。ハチャメチャに面白い。こんな話を書く作家がいてくれることに感謝したい。ブルガーコフもまた、スターリン政権下で苦しんだひとりである。スターリンはブルガーコフの書く舞台作品を、ことのほか気に入っていたという。ブルガーコフのどこを気に入っていたかは、まったくわからない。だから、と...</description>
<dc:subject>文学/ロシア・東欧</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-24T15:04:36+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn00961.co.hontsuna.com/article/2024259.html" target="_blank">巨匠とマルガリータ</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn00961.co.hontsuna.com/article/2024259.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4309709451" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：ミハイル・ブルガーコフ（著）<br>　　　　　水野忠夫（訳）<br>　　　　　池澤夏樹（編集）<br />出版社：河出書房新社<br />出版年：2008.04<br />ISBN　：9784309709451</td></tr></table><br /></blockquote><br />面白い。抜群に面白い。ハチャメチャに面白い。<br />こんな話を書く作家がいてくれることに感謝したい。<br />ブルガーコフもまた、スターリン政権下で苦しんだひとりである。<br />スターリンはブルガーコフの書く舞台作品を、ことのほか気に入っていたという。ブルガーコフのどこを気に入っていたかは、まったくわからない。だから、ときに絶賛され、ときに批判の矢面に立たされる。まさにいたぶられている。<br />そんな気分屋ともいえる、あるいは分裂病ともいえるスターリンに対抗するには、常に警戒と鉄壁の防御、そしてアイロニーを必要とした。<br />この『巨匠とマルガリータ』もまた、そんな複雑さで満たされている。簡単には読みとけない。が、それでもある種エンターティメントとして抜群に面白い。<br />「ああ、モスクワが！」と、何度叫びそうになったか。<br />この面白さは、ブルガーコフが舞台作品を多く手がけたことによるものだと思われる。劇作家で、そしてこれほど小説において気品高く想像力を花開かせた作家を他にあまり知らない。<br />それでも、この作品はスターリンの琴線に触れたと思う。ブルガーコフが、机の引き出しに隠し、書きつづけたことは正解だったかもしれない。<br />「原稿は燃えないものなのです」という作中の言葉も、そう簡単に解釈はできない。<br />悪魔が支配するモスクワの数日。そこで何が起き、それがどのように書かれているか、これは読むしかない。<br />水野忠夫さんの全面改訳による本書ならば、600頁にも及ぶこの長編もあっという間だろう。そして、読み終えてすぐ、悪魔の次の来訪を心待ちしている自分を発見して驚いているかもしれない。
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</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2070035.html">
<title>『磔のロシア　スターリンと芸術家たち』亀山郁夫（岩波書店）／2003年第６刷</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2070035.html</link>
<description>磔のロシア著者名：亀山郁夫（著）出版社：岩波書店出版年：2002.05ISBN　：9784000244107亀山さんは、もともとドストエフスキーを専攻していた。だが、すぐれた先人たちによってドストエフスキー研究に入れる余地がなかったという。そこで、ロシアであまり手をつけられていないロシア・アヴァンギャルド、特にフレーブニコフの研究に入る。その後、マヤコフスキーやマレーヴィチなど、ロシア・アヴァンギャルドの研究に入ってゆくなかで、スターリンと芸術家というテーマを発見する。これを...</description>
<dc:subject>思想・哲学・社会・宗教/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-22T22:55:59+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn00365.co.hontsuna.com/article/160968.html" target="_blank">磔のロシア</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn00365.co.hontsuna.com/article/160968.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4000244108" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：亀山郁夫（著）<br />出版社：岩波書店<br />出版年：2002.05<br />ISBN　：9784000244107</td></tr></table><br /></blockquote><br />亀山さんは、もともとドストエフスキーを専攻していた。<br />だが、すぐれた先人たちによってドストエフスキー研究に入れる余地がなかったという。<br />そこで、ロシアであまり手をつけられていないロシア・アヴァンギャルド、特にフレーブニコフの研究に入る。<br />その後、マヤコフスキーやマレーヴィチなど、ロシア・アヴァンギャルドの研究に入ってゆくなかで、スターリンと芸術家というテーマを発見する。<br />これを「スターリン学」とよんだ。<br />その集大成が本書であり、大仏次郎賞を受賞している。<br />このテーマは非常に興味深い。<br />だが、危うい部分も或る。<br />このテーマで書かれた次の『熱狂とユーフォリア』、そして『大審問官スターリン』で遂にその危うさが露呈する。<br />その危うさは、スターリン自身を主人公として描きたいという誘惑に抗しきれないところに、よくあらわれている。<br />この危険なロマンチシズムを、亀山さん自身よく自覚している。<br />そのことは、最新刊の佐藤優氏との対談『ロシア　闇と魂の国家』（文春新書2008年）の序文に、激しく書いている。<br />それでも、このテーマは重要である。<br />多くの貴重な示唆に富んでいる。<br />実際に、亀山さんとは二度ほどお会いしてお話をうかがった。<br />とてもナイーブな人だった。そのナイーブさは先にも触れた危うさも感じさせるのだが、開かれているために不思議なバランスも感じた。<br />それは、本書の冒頭にもよくあらわれている。<br />1930年代のスターリンの大テロル時代と9.11に象徴される現在のテロとの比較。<br />それ以外にも、あまり紹介されない多くのロシアの芸術家を知ることができるのも貴重である。<br />僕が亀山さんから教えてもらって今最も興味をもっているのは、詩人のフレーブニコフ、画家のブルーベリとフィローノフ、音楽家のメトネル、そして思想家のフョードロフ。<br />亀山さんはいま待望のドストエフスキーの世界に戻られ、新訳の『カラマーゾフの兄弟』が大ベストセラーになっている。<br /><br />手元にある亀山さんの著作は、下記のとおり。<br />＊	『熱狂とユーフォリア』（平凡社）2003年<br />＊	『大審問官スターリン』（小学館）2006年<br />＊	『終末と革命のロシア・ルネサンス』（岩波書店）1993年<br />＊	『ロシア・アヴァンギャルド』（岩波新書）1996年<br />＊	『ロシア　闇と魂の国家』（岩波新書）2008年<br />＊	『NHK知るを楽しむ　悲劇のロシア　ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ』（日本放送出版協会）2008年
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2066560.html">
<title>『シラオイコタン 木下清蔵遺作写真集』（アイヌ民族博物館）／1988年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2066560.html</link>
<description>『シラオイコタン 木下清蔵遺作写真集』著者名：木下清蔵出版社：アイヌ民族博物館出版年：1988白老のアイヌの人たちを撮りつづけた木下清蔵の遺作写真集。アイヌの古い資料写真は、ほとんど木下清蔵の写真が使われている。それほど、木下清蔵の写真は貴重だ。木下清蔵の写真は、静かで優しい。被写体との距離があたたかい。ともに生活した者への信頼がアイヌの人たちにあるのだろう。写真としても、かつ資料としても、間違いなく一級のものだ。そして、装丁もまたすばらしい。</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-13T23:51:53+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『シラオイコタン 木下清蔵遺作写真集』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/223.jpg" alt="223.jpg" width="126" height="120" border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />著者名：木下清蔵<br />出版社：アイヌ民族博物館<br />出版年：1988<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />白老のアイヌの人たちを撮りつづけた木下清蔵の遺作写真集。<br />アイヌの古い資料写真は、ほとんど木下清蔵の写真が使われている。<br />それほど、木下清蔵の写真は貴重だ。<br />木下清蔵の写真は、静かで優しい。<br />被写体との距離があたたかい。<br />ともに生活した者への信頼がアイヌの人たちにあるのだろう。<br />写真としても、かつ資料としても、間違いなく一級のものだ。<br />そして、装丁もまたすばらしい。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2066062.html">
<title>『アイヌ学の夜明け』梅原猛・藤原久和 編（小学館）／1990年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2066062.html</link>
<description>アイヌ学の夜明け著者名：梅原猛（編集）　　　　　藤村久和（編集）出版社：小学館出版年：1990.05ISBN　：9784093900324アイヌについては、『ユーカラ』に代表されるように言語を中心として研究されてきた。あるいは、「イヨマンテ」などの儀式、風俗、考古学などの個別の研究。アイヌの人たちの減少、研究者の不足、それと対照的に、残された膨大な資料という現実からも推察できるように、個別の研究はなされても、アイヌ全体にまでは至っていない。本書は、宗教をその根底にすえ、アイヌ...</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-12T22:28:06+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn03068.co.hontsuna.com/article/574861.html" target="_blank">アイヌ学の夜明け</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn03068.co.hontsuna.com/article/574861.html" target="_blank"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/222.jpg" alt="222.jpg" width="90" height="130" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：梅原猛（編集）<br>　　　　　藤村久和（編集）<br />出版社：小学館<br />出版年：1990.05<br />ISBN　：9784093900324</td></tr></table><br /></blockquote><br />アイヌについては、『ユーカラ』に代表されるように言語を中心として研究されてきた。あるいは、「イヨマンテ」などの儀式、風俗、考古学などの個別の研究。<br />アイヌの人たちの減少、研究者の不足、それと対照的に、残された膨大な資料という現実からも推察できるように、個別の研究はなされても、アイヌ全体にまでは至っていない。<br />本書は、宗教をその根底にすえ、アイヌ全体を改めて見直す作業として、「アイヌ学」をかかげている。<br />哲学者梅原猛とアイヌ研究家の藤原久和が、アイヌをめぐる多くの人たちと対談、あるいはシンポジウムという形で話を聞いてゆく。<br />アイヌ研究者は、外国人が多いというのには、驚かされた。<br />そして、第二次世界大戦で、アーリア人を最高の民族としているドイツが極東の黄色人種である日本となぜ軍事同盟を組んだのか、その理由にアイヌが大きくかかわっていたことにも驚かされた。ヨーロッパ人にとって、日本の祖先はアイヌ民族であり、彼らは白人である、よって日本人は白人を祖先とする民族であると考えられたことによるという。アイヌ研究が海外で進んでいるのも、少なからずその考え方の影響によるという。<br />資料もまた、海外に多く存在しているともいう。<br />ここでは、国策や、その影響を受けた金田一京助らによって、日本とアイヌは民族的に無関係であるという学説をもう一度見直し、海外との共同研究を呼びかけている。<br />アイヌからは、哲学的思考方法まで学ぶことができることを痛感させられた。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2065450.html">
<title>『アイヌ神謡集』知里幸恵 編訳（岩波文庫）／1993年21刷</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2065450.html</link>
<description>アイヌ神謡集著者名：知里幸恵（編訳）出版社：岩波書店出版年：2002.12ISBN　：9784003208014「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という美しい言葉から入る『アイヌ神謡集』なんとおおらかで、豊かなリズムだろう。アイヌにとって、すべてのものが同じ地平に存在し、すべてに神が宿る。その世界観は、優しく、ときにユーモラスでさえある。本書は、アイヌ語との対訳になっており、アイヌ語の音も楽しめる。編訳の知里幸恵は、アイヌの才女。金田一京助との出会いにより、そ</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-11T23:49:20+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn00365.co.hontsuna.com/article/87489.html" target="_blank">アイヌ神謡集</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn00365.co.hontsuna.com/article/87489.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4003208013" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：知里幸恵（編訳）<br />出版社：岩波書店<br />出版年：2002.12<br />ISBN　：9784003208014</td></tr></table><br /></blockquote><br />「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という美しい言葉から入る『アイヌ神謡集』<br />なんとおおらかで、豊かなリズムだろう。<br />アイヌにとって、すべてのものが同じ地平に存在し、すべてに神が宿る。<br />その世界観は、優しく、ときにユーモラスでさえある。<br />本書は、アイヌ語との対訳になっており、アイヌ語の音も楽しめる。<br />編訳の知里幸恵は、アイヌの才女。金田一京助との出会いにより、その才能を花開かせるが、19歳という若さで逝ってしまった。<br />知里幸恵自身の心あたたまる脚注に、その人柄が、そしてアイヌの豊かさがうかがえる。<br />この豊かなアイヌを迫害し、差別し、ときに虐殺までしたのは、私たち日本人だった。私たちの祖先かもしれないにもかかわらず。<br />消されてゆくアイヌのその歴史のなかに、実は近代日本の暗い闇の精神性が隠されている。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2064787.html">
<title>エイヘンバウム編『ペテルブルグ物語』ニコライ・ゴーゴリ　船木裕訳（群像社）／2004年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2064787.html</link>
<description>ペテルブルグ物語著者名：ゴーゴリ（著）　　　　　船木裕（訳）出版社：群像社出版年：2004.07ISBN　：9784905821267長く生きててよかった、などと思うことなど、ほぼないといっていい。だが、今回ゴーゴリのものをまとめて読んで、ちょっとそんな思いにかられた。ゴーゴリは遠い昔から読みたいと思っていた。不思議なことに、それが何十年もつづいた。こんなケースは、他にない。読まなければと思って、読んでないものはたくさんある。でも、焦がれるようにして読みたいと思っていたにもか...</description>
<dc:subject>文学/ロシア・東欧</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-10T21:19:26+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn01752.co.hontsuna.com/article/326643.html" target="_blank">ペテルブルグ物語</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn01752.co.hontsuna.com/article/326643.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4905821266" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：ゴーゴリ（著）<br>　　　　　船木裕（訳）<br />出版社：群像社<br />出版年：2004.07<br />ISBN　：9784905821267</td></tr></table><br /></blockquote><br />長く生きててよかった、などと思うことなど、ほぼないといっていい。<br />だが、今回ゴーゴリのものをまとめて読んで、ちょっとそんな思いにかられた。<br />ゴーゴリは遠い昔から読みたいと思っていた。不思議なことに、それが何十年もつづいた。こんなケースは、他にない。読まなければと思って、読んでないものはたくさんある。でも、焦がれるようにして読みたいと思っていたにもかかわらず、読んでいないものなど他にはない。<br />ゴーゴリの『鼻』をショスタコーヴィチは、オペラにしている。<br />ショスタコーヴィチに魅かれていくうちに、スターリン時代の芸術家、ロシア・アヴァンギャルト、そして19世紀ロシアのものとさかのぼっていくなかで、ついにゴーゴリに出会うことができた。<br />新訳がではじめていることも拍車をかけた。<br />ゴーゴリは笑いの人といわれるが、そうは思えない。舞台作品『検察官』の影響かもしれない。舞台作品の場合、より直接的な検閲にさらされ、そしてエンターティメントとして大衆に支持されもしなければならないことから、より笑いの要素は強くなる。<br />だが、それはアイロニーの笑いだ。それは、小説では残酷なまでの冷たさで展開される。このアイロニーが、ショスタコーヴィチまで受け継がれている。（ショスタコーヴィチと同時代人のブルガーコフの小説には、それはより顕著にあらわれている）<br />このアイロニーをふくんだ世界へのまなざしこそ、現在の日本にもっとも欠けているものかもしれない。<br />そして、世界へのまなざしの正確さと、そこから生まれる異常な想像力。ある意味では、分裂病患者のまなざしである。<br />実際、彼は精神的な疾患をもち、悲惨な最期を遂げたという。<br />ゴーゴリは、作家生活の最初と最後に、自らの原稿を焼いている。<br />この異常な行動に、僕は興味をひかれてならない。<br />ルオーという画家も、自らの作品を大量に焼いている。<br />この極限の行動へかりたてる源泉を知りたい。<br />しばらく、ゴーゴリを読みつづける生活になりそうだ。<br /><br />手元にあるゴーゴリの著作は、下記のとおり。<br />＊	『検察官』船木裕訳（群像社）2001年<br />＊	『結婚』堀江新二訳（群像社）2005年第二版第１刷<br />＊	『狂人日記』横田瑞穂訳（岩波文庫）2006年第26刷
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