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<title>フラスコの宇宙</title>
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<description>Materials Warehouse■■■二瓶龍彦Nihei Tatsuhiko</description>
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2222424.html">
<title>道草5</title>
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<description>この「フラスコの宇宙」でも多く取りあげている、ソ連時代を代表する作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ。僕の最も好きな作曲家である。それが高じて、ショスタコーヴィチの交響曲でソロのダンス作品をつくれないかと思い立ち、集団でも困難であろうショスタコーヴィチの交響曲を、ひとりで踊るということに、僕はとりつかれて、既に２年がたった。小沢恵美子 SOLO DANCE WORK と称して、2007年『交響曲No.10』2008年『交響曲No.4』と、ソロ・ダンス作品をつくってきた。そして...</description>
<dc:subject>道草</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2009-06-23T03:27:42+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/m1.jpg" alt="m1.jpg" width="86" height="130" /><br /><br />この「フラスコの宇宙」でも多く取りあげている、ソ連時代を代表する作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ。<br />僕の最も好きな作曲家である。<br />それが高じて、ショスタコーヴィチの交響曲でソロのダンス作品をつくれないかと思い立ち、集団でも困難であろうショスタコーヴィチの交響曲を、ひとりで踊るということに、僕はとりつかれて、既に２年がたった。<br />小沢恵美子 SOLO DANCE WORK と称して、<br />2007年『交響曲No.10』<br />2008年『交響曲No.4』<br />と、ソロ・ダンス作品をつくってきた。<br />そして、今年2009年『交響曲No.15』に挑戦する。<br /><br />スターリン体制下の旧ソ連で、まさに20世紀の闇に引き裂かれながら生きのびたドミトリー・ショスタコーヴィチ。<br />そして、最後の交響曲『No.15』で、イデオロギーや体制への抵抗という外部からの要請ではなく、はじめて自分の個人的な死と向き合う。<br />小沢恵美子が挑むショスタコーヴィチ交響曲、最終章「個人的な死」、懇親の問題作です。<br />ぜひぜひ、多くの方に観ていただきたいと思います。<br /><br />＊<br />小沢恵美子 SOLO DANCE WORK #03<br />ドミトリー・ショスタコーヴィチ『ＳＹＭＰＨＯＮＹ　Ｎｏ１５』<br /><br />企画・出演 小沢恵美子<br />設計 二瓶龍彦<br />映像 宇田川伸一<br /><br />場所：SESSION HOUSE　地下スタジオ<br />　　　<a href="http://www.session-house.net/" target="_blank">http://www.session-house.net/</a><br /><br />日時：2009年6月26日(金)　　　19:30<br />　　　　　　6月27日(土)15:00/19:00　開場各30分前<br />　　　<br />料金：前売 \2,500　当日 \2,800<br /><br />▽予約・お問合せ<br />　ＰＨＩＬＩＡ ＰＲＯＪＥＣＴ<br />　tel：090-6517-0809<br />　mail:philia_project@yahoo.co.jp<br />　ホームページ<br />　<a href="http://www.cc9.ne.jp/~nihei-1817/" target="_blank">http://www.cc9.ne.jp/~nihei-1817/</a><br />▽小沢恵美子　ホームページ<br />　<a href="http://www012.upp.so-net.ne.jp/emiko/" target="_blank">http://www012.upp.so-net.ne.jp/emiko/</a>
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2220121.html">
<title>『芸術と革命Ⅱ　展』カタログ（西武美術館）／1987年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2220121.html</link>
<description>『芸術と革命Ⅱ 展』カタログ出版社：西武美術館出版年：1982『芸術と革命』展にひきつづき、1987年に開催された展覧会の図録。前回が、美術中心であったのに対して、『芸術と革命Ⅱ』では、演劇や映画などが中心になっている。僕の最も愛する演出家のひとりであるメイエルホリドや、エイゼンシュタイン、そして表紙にもなっている詩人のマヤコフスキー等々。舞台関係の仕事をしている僕にとっては、たまらない一書。僕の部屋には、このマヤコフスキーの写真を中心においたこの展覧会のポスターが、今も貼ら</description>
<dc:subject>美術/ロシア・東欧</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2009-06-18T22:49:46+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『芸術と革命Ⅱ 展』カタログ</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/238.jpg" alt="238.jpg" width="99" height="130"  border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />出版社：西武美術館<br />出版年：1982<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />『芸術と革命』展にひきつづき、1987年に開催された展覧会の図録。<br />前回が、美術中心であったのに対して、『芸術と革命Ⅱ』では、演劇や映画などが中心になっている。<br />僕の最も愛する演出家のひとりであるメイエルホリドや、エイゼンシュタイン、そして表紙にもなっている詩人のマヤコフスキー等々。<br />舞台関係の仕事をしている僕にとっては、たまらない一書。<br />僕の部屋には、このマヤコフスキーの写真を中心においたこの展覧会のポスターが、今も貼られている。
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2220115.html">
<title>『芸術と革命　展』カタログ（西武美術館）／1982年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2220115.html</link>
<description>『芸術と革命 展』カタログ出版社：西武美術館出版年：1982ロシア・アヴァンギャルドの全体像を、はじめて日本に紹介した大規模な展覧会『革命と芸術』展。82年だからずいぶん遅い印象も受けるが、世界的にもこれがはじめての試みであった。21世紀になった現在でも、その後のスターリン体制下の芸術作品の全貌はいまだつかめていない。ソ連が、どれだけ自国の作品、そしてドイツをはじめとする戦勝国として手に入れた外国の作品を所有しているのか、見当もつかないという。後に、この展覧会の関係者の人に話</description>
<dc:subject>美術/ロシア・東欧</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2009-06-18T22:40:51+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『芸術と革命 展』カタログ</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/237.jpg" alt="237.jpg" width="96" height="130"  border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />出版社：西武美術館<br />出版年：1982<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />ロシア・アヴァンギャルドの全体像を、はじめて日本に紹介した大規模な展覧会『革命と芸術』展。<br />82年だからずいぶん遅い印象も受けるが、世界的にもこれがはじめての試みであった。21世紀になった現在でも、その後のスターリン体制下の芸術作品の全貌はいまだつかめていない。<br />ソ連が、どれだけ自国の作品、そしてドイツをはじめとする戦勝国として手に入れた外国の作品を所有しているのか、見当もつかないという。<br />後に、この展覧会の関係者の人に話を聞く機会があっが、まだソ連であった当時、美術作品１点借りるだけで大変な労力を要したといっていた。<br />中原佑介監修の本カタログは、そういう意味でも貴重だ。
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2208666.html">
<title>『詩を書く　なぜ私は詩をつくるのか』谷川俊太郎（思潮社　詩の森文庫）／2006年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2208666.html</link>
<description>詩を書く著者名：谷川俊太郎（著）出版社：思潮社出版年：2006.03ISBN　：9784783717072つい最近、久しぶりに詩人の谷川俊太郎さんと仕事をした。そこで、谷川さんの新しい本を読む。本書は、谷川さんの「なぜ詩を書くのか」というテーマで書かれた過去のエッセイを集めたもの。言うまでもなく、この国において、谷川俊太郎さんの詩人としての功績は大きい。それは、「ことばあそび」の分野でもっとも大きいと感じる。それとは対極にある詩群は、世界の核心に触れようとしたとたんにズレてゆ...</description>
<dc:subject>詩歌/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2009-05-25T23:59:20+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn03016.co.hontsuna.com/article/1681181.html" target="_blank">詩を書く</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn03016.co.hontsuna.com/article/1681181.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4783717079" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：谷川俊太郎（著）<br />出版社：思潮社<br />出版年：2006.03<br />ISBN　：9784783717072</td></tr></table><br /></blockquote><br />つい最近、久しぶりに詩人の谷川俊太郎さんと仕事をした。<br />そこで、谷川さんの新しい本を読む。<br />本書は、谷川さんの「なぜ詩を書くのか」というテーマで書かれた過去のエッセイを集めたもの。<br />言うまでもなく、この国において、谷川俊太郎さんの詩人としての功績は大きい。それは、「ことばあそび」の分野でもっとも大きいと感じる。<br />それとは対極にある詩群は、世界の核心に触れようとしたとたんにズレてゆき、描こうとした世界自体が消えてゆくと感じてきた。<br />個人的には、そのことを本書を読むことによって、詩人自身が自覚的であるということがわかった。それを危機感としてとらえているかどうかは、わからないが。<br />いずれにしても、重要な詩人であることにかわりはない。ただ、世界にとってではなく、この国にとってということだが。<br />国民的詩人としてとらえてさしつかえないと思う。そういう詩人がいるということは、いうまでもなく、日本人にとって幸福なことである。<br /><br />手元にある、谷川俊太郎さんの著書は、下記の通り。<br />＊	『谷川俊太郎詩集』思潮社／1979年第11刷<br />＊	『谷川俊太郎詩集　続』思潮社／1979年第２刷<br />＊	『コカコーラレッスン』思潮社／1980年<br />＊	『よしなしうた』青土社／1985年<br />＊	『谷川俊太郎詩集Ⅱ 朝のかたち』角川文庫／1991年第10刷<br />＊	『谷川俊太郎対談集１』冬芽社／1987年<br />＊	『叢書児童文学第１巻 ことば・詩・子ども』谷川俊太郎責任編集　世界思想社／1982年第２刷
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2207050.html">
<title>愛蔵版『愛の詩集』室生犀星（日本図書センター）／1999年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2207050.html</link>
<description>愛の詩集著者名：室生犀星（著）出版社：日本図書センター出版年：1999.12ISBN　：9784820518624萩原朔太郎を読んだので、たしか読んでいない室生犀星の本があったはずだと、探してみたら出てきた。それが、本書。日本の近代詩は、萩原朔太郎の住む前橋からはじまったといっても過言ではない。この緑と水が美しい街が、ある時期、なぜ近代詩人をあのようにたくさん輩出したかはわからない。朔太郎の他にも、山村慕鳥、萩原恭次郎、大手拓二などを生み、草野心平も移り住んだ。朔太郎の周りに</description>
<dc:subject>詩歌/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2009-05-22T22:42:38+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn06214.co.hontsuna.com/article/1129278.html" target="_blank">愛の詩集</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn06214.co.hontsuna.com/article/1129278.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4820518623" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：室生犀星（著）<br />出版社：日本図書センター<br />出版年：1999.12<br />ISBN　：9784820518624</td></tr></table><br /></blockquote><br />萩原朔太郎を読んだので、たしか読んでいない室生犀星の本があったはずだと、探してみたら出てきた。<br />それが、本書。<br />日本の近代詩は、萩原朔太郎の住む前橋からはじまったといっても過言ではない。この緑と水が美しい街が、ある時期、なぜ近代詩人をあのようにたくさん輩出したかはわからない。<br />朔太郎の他にも、山村慕鳥、萩原恭次郎、大手拓二などを生み、草野心平も移り住んだ。<br />朔太郎の周りには、たくさんの詩人がいた。北原白秋も朔太郎をたずねてくる。<br />そして、朔太郎ともっとも心を分かちあったのが、室生犀星だった。<br />今まで名前をあげた詩人はみんな好きなのだが、この室生犀星だけは個人的になじむことができない。むしろ、嫌いだ。<br />この第一詩集も例外ではない。何の共鳴も、感動もない。挿絵の恩地孝四郎だけがすばらしい。<br />詩は、人によって好みがはっきり別れるものらしい。特に、僕の好き嫌いははげしいらしい。<br />僕にとって室生犀星は、けっして好きになることのない詩人だ。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2159223.html">
<title>萩原朔太郎「郷土望景詩」『幻想』司修（勉誠出版）／2007年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2159223.html</link>
<description>幻想著者名：司修（著）出版社：勉誠出版出版年：2006.08ISBN　：9784585051572あまり書店には行かない。行っても、売れると称される本ばかりで、目当てのものはない。古書店にも行かなくなった。以前は、古書店めぐりは楽しみのひとつだった。でも、今はネットで全国の古書店の在庫を知ることができる。時代は変わったものである。そうはいっても、たまには書店に行く。たまたま幻想文学のコーナーの前を通り過ぎたとき、一冊の本が目に飛びこんできた。それが本書。正確には、司修さんの表</description>
<dc:subject>詩歌/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2009-02-12T14:50:35+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn07621.co.hontsuna.com/article/1743605.html" target="_blank">幻想</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn07621.co.hontsuna.com/article/1743605.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4585051570" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：司修（著）<br />出版社：勉誠出版<br />出版年：2006.08<br />ISBN　：9784585051572</td></tr></table><br /></blockquote><br />あまり書店には行かない。行っても、売れると称される本ばかりで、目当てのものはない。<br />古書店にも行かなくなった。以前は、古書店めぐりは楽しみのひとつだった。でも、今はネットで全国の古書店の在庫を知ることができる。<br />時代は変わったものである。<br />そうはいっても、たまには書店に行く。たまたま幻想文学のコーナーの前を通り過ぎたとき、一冊の本が目に飛びこんできた。<br />それが本書。正確には、司修さんの表紙の画が目に飛びこんできた。<br />この本は、萩原朔太郎の「郷土望景詩」に司修さんが画をつけたというよりも、司修さんの画に朔太郎の詩をつけたようだ。<br />朔太郎の景色はよく知っている。若い頃、前橋で過ごしたことがある。<br />まず詩に興味をもたせてくれたのが、朔太郎だった。今でももっとも好きな詩人のひとりだ。<br />そこに司修さんの画がくわわることは、何とも贅沢な気持ちになる。<br />久しぶりに、至福の時間を過ごした。
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2156974.html">
<title>別冊新評『山頭火の世界〈全特集〉』（新評社）／1978年</title>
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<description>『山頭火の世界〈全特集〉』出版社：新評社出版年：1978中村草田男がらみの仕事があったので、俳句をつづけて読みたいと思い、部屋を探していたら、この雑誌が出てきた。山頭火のものは、ずいぶん昔に読んだ。一時期、自分でも俳句を書いていたことがある。もちろん、季語のない自由律。俳句とは、宇宙的時間を一瞬にしてわしづかみにする表現だと思っている。宇宙空間をうたった場合、季語ははたして何か役に立つのだろうか。そんなことを考えていた。その出発点には、山頭火がいる。ＮＨＫのドラマで、山頭火役</description>
<dc:subject>詩歌/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2009-02-06T21:07:38+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『山頭火の世界〈全特集〉』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/233.jpg" alt="233.jpg" width="89" height="130"  border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />出版社：新評社<br />出版年：1978<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />中村草田男がらみの仕事があったので、俳句をつづけて読みたいと思い、部屋を探していたら、この雑誌が出てきた。<br />山頭火のものは、ずいぶん昔に読んだ。一時期、自分でも俳句を書いていたことがある。もちろん、季語のない自由律。俳句とは、宇宙的時間を一瞬にしてわしづかみにする表現だと思っている。宇宙空間をうたった場合、季語ははたして何か役に立つのだろうか。そんなことを考えていた。その出発点には、山頭火がいる。<br />ＮＨＫのドラマで、山頭火役をフランキー堺が熱演したのが印象に残っている。人間としてのダメさかげんと、愛されるキャラクターを好演していた。<br />山頭火は、大好きな俳人ではあるのだが、残念ながら駄作も多い。俳句の日記性によるところが大きいのだろうか。<br />久しぶりに山頭火を読み、懐かしい気分になった。<br /><br />「どうしようもない私が歩いている」山頭火<br /><br />手元にある山頭火に関する書籍は、下記の通り。<br />＊『山頭火句集（一）～（四）＋アルバム』(春陽堂書店)1994年　15刷<br />＊	『山頭火日記（一）』(春陽堂書店)1988年　2刷
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2114667.html">
<title>『鉄人28号』原作完全版①　横山光輝（潮出版社）／2005年</title>
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<description>鉄人28号　原作完全版　（1）著者名：横山光輝出版社：潮出版社出版年：2008.10ISBN　：EB60020785たまたまＴＶのＢＳをつけたら、劇場映画版『鉄人28号 白昼の残月』（今川泰宏監督）がはじまるところだった。昨年、テレビ東京で『鉄人28号』をやっているのは、これもたまたま見かけることがあった。『鉄人28号』は、小学生の頃、最も好きだったアニメ。当時、手塚治虫の『鉄腕アトム』と人気を二分していた。鉄人とアトム、どっちが強いかで、けんかまでしていた子もいた。僕は、鉄...</description>
<dc:subject>漫画/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-10-30T22:28:29+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spne0001.co.hontsuna.com/article/2018216.html" target="_blank">鉄人28号　原作完全版　（1）</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spne0001.co.hontsuna.com/article/2018216.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=EB60020785" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：横山光輝<br />出版社：潮出版社<br />出版年：2008.10<br />ISBN　：EB60020785</td></tr></table><br /></blockquote><br />たまたまＴＶのＢＳをつけたら、劇場映画版『鉄人28号 白昼の残月』（今川泰宏監督）がはじまるところだった。<br />昨年、テレビ東京で『鉄人28号』をやっているのは、これもたまたま見かけることがあった。<br />『鉄人28号』は、小学生の頃、最も好きだったアニメ。当時、手塚治虫の『鉄腕アトム』と人気を二分していた。鉄人とアトム、どっちが強いかで、けんかまでしていた子もいた。僕は、鉄人派だった。<br />それでも、これといってリメイクには興味がなかった。<br />だが、『鉄人28号 白昼の残月』は、最初から衝撃的だった。<br />現在、昭和30年代ブームといわれる。それは、戦後の焼け野原から立ち直り、高度成長期へと向かうロマンチックな風景で成立している。<br />だが、それは本当の姿だろうか。<br />ほとんどの人間が戦争にかかわり、なかにはアジア諸国で残虐な行為をしていた者もたくさんいただろう。そして、一方では戦争の亡霊がうごめきはじめていた。<br />昭和30年代のレトロブームは、完全に被害者の物語を土台にして成立している。<br />加害者としての物語は、見事に隠されている。<br />だが、この映画に描かれている昭和30年代は、まったく違う。<br />僕の記憶では、あくまで鉄人は悪者どものつくったロボットと戦う正義の味方だった。<br />だが、この映画では、鉄人は前大戦の日本の最終兵器として開発されたものであり、そして他の登場人物たちも何らかの戦争の傷を背負っている。<br />実際、前大戦末期、日本は一発逆転の兵器をもっているという噂が流れていた。その証言を何人もの人から聞いた。<br />どこまでが原作通りなのか、確認するために本書を購入した。<br />原作でも、鉄人は前大戦の最終兵器として開発されていた。<br />映画では、原作と違って大きく物語をつくっているが、もしかしたら原作者の横山光輝の戦争への思いを最も反映しているのかもしれない。<br />あっというまに、今川泰宏監督のファンになってしまった。<br />音楽を担当したのは、伊福部昭。<br />ゴジラのテーマ曲で有名な伊福部さんだが、鉄人で使われた曲がまたいい。<br />もともとは、アイヌのリズムで書かれた曲。<br />今一度、この昭和30年代ブーム、そしてこの国の戦前、戦中、戦後を見なおすいい機会かもしれない。<br /><br />手元にある鉄人28号関係の書籍は下記の通り。<br />＊	『鉄人28号』原作完全版②（潮出版）2005年
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2113480.html">
<title>『風の王　砂澤ビッキの世界』柴橋伴夫（響文社）／2001年第2刷</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2113480.html</link>
<description>風の王著者名：柴橋伴夫（著）出版社：響文社出版年：2001.03ISBN　：97848779900532008年7月に、舞踊家の麻生アユミとアイヌをめぐる作品『オラトリウムの森から』をつくった。それで、アイヌに関する資料をいろいろ読んだのだが、おそらくアイヌ民族として最も過激に抵抗した人の名をあげるなら、木の彫刻家、砂澤ビッキだろう。しかも、彼はひとりで抵抗した。砂澤ビッキは、昔から最も好きな彫刻家のひとりだった。本書は、渋澤龍彦をはじめとするビッキの意外な交友も含めて、ひと...</description>
<dc:subject>美術/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-10-28T17:30:29+09:00</dc:date>
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<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn52841.co.hontsuna.com/article/466606.html" target="_blank">風の王</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn52841.co.hontsuna.com/article/466606.html" target="_blank"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/231.jpg" alt="231.jpg" width="91" height="130" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：柴橋伴夫（著）<br />出版社：響文社<br />出版年：2001.03<br />ISBN　：9784877990053</td></tr></table><br /></blockquote><br />2008年7月に、舞踊家の麻生アユミとアイヌをめぐる作品『オラトリウムの森から』をつくった。<br />それで、アイヌに関する資料をいろいろ読んだのだが、おそらくアイヌ民族として最も過激に抵抗した人の名をあげるなら、木の彫刻家、砂澤ビッキだろう。<br />しかも、彼はひとりで抵抗した。<br />砂澤ビッキは、昔から最も好きな彫刻家のひとりだった。<br />本書は、渋澤龍彦をはじめとするビッキの意外な交友も含めて、ひと通り追っている。全体像を知るという意味ではよいかもしれない。<br />この本のなかにもしばしば名前が登場する現代美術家の岡部昌生さんと、先日飲みながら話した。<br />ビッキの名前を出したとたん、岡部さんの表情が変わった。非常に厳しい顔になる。<br />岡部さんは、ビッキが亡くなった直後、ビッキのアトリエに入り、そこにある作品をはじめとしてビッキの使用していたものを、フロッタージュという方法で記録した。<br />その岡部さんの表情の変化ひとつとってみても、砂澤ビッキという存在の大きさ、そして人とのつきあいの濃さがうかがえる。<br />いまでも風雪にさらされたビッキの作品が北海道にある。木彫ゆえに、やがて朽ちるだろう。<br />「風が彫る」<br />ビッキはそう言って、あえて木彫作品を野外に展示した。<br />朽ちる前に、なんとか目撃しなければならない。<br /><br />手元にある砂澤ビッキ関係の書籍は、下記の通り。<br />＊	『砂澤ビッキ－風に聴く』浅川泰（北海道新聞社）1996年<br />＊	『砂澤ビッキ作品集』（用美社）1989年
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2098513.html">
<title>現代俳句の世界６『中村草田男集』（朝日文庫）／1984年</title>
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<description>現代俳句の世界　６著者名：中村草田男（著）出版社：朝日新聞社出版局出版年：1984.01ISBN　：9784022609267縁というものは、まことに不思議なものである。そもそも中村草田男の名は、寺山修司を通じて知った。日本の演劇人のなかで、僕が最も影響を受けたのが寺山修司だった。その寺山修司が10代で歌人として華々しくデビューしたとき、盗作問題が起こった。その盗作された方が、この俳人中村草田男であった。今年2008年、愛媛県久万高原町にある町立久万美術館では、開館20周年記...</description>
<dc:subject>詩歌/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-09-26T19:58:09+09:00</dc:date>
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<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn00042.co.hontsuna.com/article/17973.html" target="_blank">現代俳句の世界　６</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn00042.co.hontsuna.com/article/17973.html" target="_blank"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/230.jpg" alt="230.jpg" width="91" height="130" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：中村草田男（著）<br />出版社：朝日新聞社出版局<br />出版年：1984.01<br />ISBN　：9784022609267</td></tr></table><br /></blockquote><br />縁というものは、まことに不思議なものである。<br />そもそも中村草田男の名は、寺山修司を通じて知った。<br />日本の演劇人のなかで、僕が最も影響を受けたのが寺山修司だった。<br />その寺山修司が10代で歌人として華々しくデビューしたとき、盗作問題が起こった。<br />その盗作された方が、この俳人中村草田男であった。<br />今年2008年、愛媛県久万高原町にある町立久万美術館では、開館20周年記念として『万作と草田男―「楽天」の絆』（10/4［土］－11/24［月・祝］）を開催する。<br />この展覧会のための映像作品を、詩人であり、映画監督である稲川方人さんが依頼された。<br />「CLASS OF 1916」<br />伊丹万作亡き後、友人である中村草田男が書いた手紙の言葉と、ふたりに縁のある松山の風景で構成された20分ほどの作品。<br />死者への想いが、時代を越えて松山の叙情のなかで強く立ち上げられている。<br />この作品の音楽を、僕が依頼された。<br />稲川方人監督作品の音楽は、前作のドキュメンタリー映画『たった８秒のこの世に、花を』につづいて二作目。<br />そこで、買ったまま読んでいない本書があることを思い出した。<br />意外にも、カバー装画は現代美術家の宇佐美圭司。少し和風になっていて、妙な感じがする。<br />ところで、今年11月には、同じ愛媛県の松山で、寺山修司作の市街劇が上演される。<br />この作品には、松山在住の大学時代の演劇部の先輩が出演する。<br />寺山修司と中村草田男のこともふくめて、何とも奇妙なめぐりあわせだ。<br />僕はこの展覧会のオープニングで、急遽ミニライブをすることになった。<br />そこで、その先輩とは再会することになるだろう。<br /><br />松山、数十年ぶりに訪れる、母が育った街。<br /><br />「外光や友亡き者の冬の旅」中村草田男
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2079979.html">
<title>現代日本の文学37『武田泰淳』（学研）／1976年19版</title>
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<description>現代日本の文学37『武田泰淳』著者名：武田泰淳（著）出版社：学研出版年：1976年19版この文学全集は、高校に入学したときに一括で買ってもらったもの。文学アルバムもついていて、ずいぶん世話になった。そのなかの一冊、「武田泰淳」の集を、久しぶりにとりだしてみる。アイヌのことを調べていたら、武田泰淳にぶつかった。武田泰淳には、高校時代『司馬遷』を読んだぐらいの認識しかなかった。つまり、中国文学者の印象しかなかった。今回、北海道で教職についていた時期もあることを知った。映画にもなっ...</description>
<dc:subject>文学/アジア</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-14T10:57:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn03162.co.hontsuna.com/article/651660.html" target="_blank">現代日本の文学37『武田泰淳』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn03162.co.hontsuna.com/article/651660.html" target="_blank"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/229.jpg" alt="229.jpg" width="92" height="130" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：武田泰淳（著）<br />出版社：学研<br />出版年：1976年19版</td></tr></table><br /></blockquote><br />この文学全集は、高校に入学したときに一括で買ってもらったもの。<br />文学アルバムもついていて、ずいぶん世話になった。<br />そのなかの一冊、「武田泰淳」の集を、久しぶりにとりだしてみる。<br />アイヌのことを調べていたら、武田泰淳にぶつかった。<br />武田泰淳には、高校時代『司馬遷』を読んだぐらいの認識しかなかった。<br />つまり、中国文学者の印象しかなかった。<br />今回、北海道で教職についていた時期もあることを知った。<br />映画にもなった『森と湖の祭り』を書いたこと、その主人公のモデルがアイヌの彫刻家砂澤ビッキということも、今回はじめて知った。<br />残念ながら、『森と湖の祭り』はおさめられていなかったが、『ひかりごけ』は入っていた。<br />読んでみて、驚愕した。<br />この不気味さは何だろう。<br />人を食べるという猟奇的な内容からくる不気味さではない。<br />その猟奇的な事件を見つめる武田泰淳のまなざしが不気味なのだ。<br />批判でもない。容認でもない。ただただじっと見つめるそのまなざし。<br />何かを知っている目。<br />それは、中国民族、その文化を愛した武田泰淳が、前大戦において中国で何をしたのかというところに由来するのではないかと思われる。<br />人を殺すことがどんなことであるかを知っている人間のまなざし。<br />しかも、戦争において人を殺すことを知っている人間のまなざし。<br />ある境界を踏み越えた、あるいは強制的に踏み越えさせられた人間のまなざし。<br />そのまなざしが見つめる人間の姿、戦争の姿、それはただならぬものとなる。<br />同じ戦争体験をしている大岡昇平などでも、何か大きく次元が違うと、恐怖とともに感じさせられる。<br />『ひかりごけ』は、散文から戯曲へと唐突に移る形式をとっている。<br />この唐突な実験は、その実験性よりも、そうせざるを得なかった別の要請を感じる。<br />戯曲の本来もつ危険性まで、むき出しにされた感がある。<br />そして、そこに浮かびあがってくる人間の姿。<br />と同時に、それを見つめる武田泰淳のまなざしが不気味に浮かぶ。<br />そんな不気味なまなざしをより強く感じさせる作品が、この文学全集におさめられている。<br />『審判』<br />まさに、ひとりの日本軍人の中国人殺害が描かれている。<br />前半は、『ひかりごけ』と同じように散文で書かれているが、後半は戯曲ではなく手紙という形態をとっている。その手紙は一度の改行もなく一気に書かれている。<br />その中国の殺人は、極限状態ではない、する必要のまったくない殺人を扱っている。それがいっそう不気味だ。殺人がリアルというより、やはり武田泰淳の不気味なまなざしがリアルなのだ。<br />その闇の奥底からのまなざしは、人間を感じない。<br />大岡昇平はやはり人間の葛藤を描いたといえる。だが、武田泰淳にはその人間的葛藤がない。<br />そのまなざしは、人間のものではない。<br />冷徹な文体が、それを支えている。<br />そのまなざしは、被害者のまなざし、殺される者、今まさに殺されてゆく者のまなざしを知っているまなざしといってもいいかもしれない。<br />殺す者と、殺される者の恐ろしいまなざしの交換。<br />武田泰淳は、呪われた作家だ。<br />読みつづけるしかない。
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2078403.html">
<title>別冊太陽『先住民 アイヌ民族』（平凡社）／2004年</title>
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<description>先住民アイヌ民族著者名：出版社：平凡社出版年：2004.10ISBN　：9784582944778アイヌ民族の生活、その様式、「ユーカラ」を含む文化、宗教、儀式等々、ヴィジュアル豊かにみせてくれる。入門書としては、手頃かもしれない。ただ、ここで示されている自然とともに培ってきた豊かなその文化を、殺しつづけてきた歴史を私たち日本人はもつということを忘れたくない。それを忘れてしまったとき、加害者であるにもかかわらず、観光客になってしまう。それを忘れなければ、アイヌの文化の豊かさ、</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-09T21:13:18+09:00</dc:date>
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<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn07600.co.hontsuna.com/article/1334863.html" target="_blank">先住民アイヌ民族</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn07600.co.hontsuna.com/article/1334863.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=4582944779" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：<br />出版社：平凡社<br />出版年：2004.10<br />ISBN　：9784582944778</td></tr></table><br /></blockquote><br />アイヌ民族の生活、その様式、「ユーカラ」を含む文化、宗教、儀式等々、ヴィジュアル豊かにみせてくれる。<br />入門書としては、手頃かもしれない。<br />ただ、ここで示されている自然とともに培ってきた豊かなその文化を、殺しつづけてきた歴史を私たち日本人はもつということを忘れたくない。<br />それを忘れてしまったとき、加害者であるにもかかわらず、観光客になってしまう。<br />それを忘れなければ、アイヌの文化の豊かさ、そして私たちが殺し、同時に失ってきたものもよく見えるに違いない。
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</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2077094.html">
<title>『ｇｅｎ　掛川源一郎が見た戦後北海道』（北海道新聞社）／2004年2刷</title>
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<description>ｇｅｎ著者名：掛川源一郎（著）出版社：北海道新聞社出版年：2004.04ISBN　：9784894532939掛川源一郎もまた、木下清蔵同様、アイヌを撮りつづけた写真家である。ただ、掛川の場合、その被写体はアイヌだけに限らなかった。でも、不思議だ。掛川源一郎の写真を見ていると、不思議な感覚に襲われる。この感覚は何だろう。例えば、自然とともに生活する人たちがいる。例えば、無邪気に遊ぶ子どもたちがいる。例えば、厳しい山々がある。どれも素晴らしい。その素晴らしさは、どれも共通する。...</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-07T23:48:09+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote id="hontsuna_shoshi_coment"><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text"><a href="http://spn07806.co.hontsuna.com/article/1352843.html" target="_blank">ｇｅｎ</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><a href="http://spn07806.co.hontsuna.com/article/1352843.html" target="_blank"><img src="http://www.hontsuna.com/pages/shoshi_image?isbn=489453293X" width="83" border="0"></a></td><td valign="top" class="text">著者名：掛川源一郎（著）<br />出版社：北海道新聞社<br />出版年：2004.04<br />ISBN　：9784894532939</td></tr></table><br /></blockquote><br />掛川源一郎もまた、木下清蔵同様、アイヌを撮りつづけた写真家である。<br />ただ、掛川の場合、その被写体はアイヌだけに限らなかった。<br />でも、不思議だ。<br />掛川源一郎の写真を見ていると、不思議な感覚に襲われる。<br />この感覚は何だろう。<br />例えば、自然とともに生活する人たちがいる。<br />例えば、無邪気に遊ぶ子どもたちがいる。<br />例えば、厳しい山々がある。<br />どれも素晴らしい。<br />その素晴らしさは、どれも共通する。<br />気配だ。<br />何の気配だろう。<br />それを言葉にするのは、難しい。<br />アイヌの言葉でいえば、「カムイ（神）」というのが、もっともしっくりくる。<br />この「カムイ」というのは、私たちが知っている、あるいは認知している「神」とは違う。<br />生活をともにしている神といえばいいだろうか。<br />あるいは、生活する神。<br />掛川源一郎の写真には、いつでもこの「カムイ」の気配で満ちている。<br />それゆえ、どの写真も優しい。<br />その優しさは、ウェットなものではなく、きわめて乾いている。<br />人間も自然もつつむカムイのその優しさに、魅かれてならない。<br />この写真集には、文化人類学者の山口昌男や写真家の吉田ルイ子などそうそうたる人が寄稿しているが、そのなかに工藤正廣の名があった。工藤正廣氏は、ここでも紹介した『パステルナール詩集』の翻訳者である。全く別のジャンルの人の名を発見することは、なにやらうれしくなる。
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</item>
<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2076517.html">
<title>『レラコラチ 風のように　森竹竹市遺稿集』（えぞや）／1977年</title>
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<description>『レラコラチ 風のように　森竹竹市遺稿集』著者名：森竹竹市出版社：えぞや出版年：1977アイヌ民族を代表する歌人三人。すなわち、バチェラー八重子、違星北斗、そして森竹竹市。森竹竹市は、戦時中ということもあって、他の二人に較べてその表現が過激ではなく、それ故評価が低いという側面が伝えられる。はたして、そうだろうか？個人的には、最も普遍性を備え、クオリティの高い作品を残したのが森竹竹市だと感じる。弱いのではなく、深い。激しくないのではなく、遠い時間まで見通せたまなざし。長いときを...</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-08-06T20:47:20+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『レラコラチ 風のように　森竹竹市遺稿集』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/226.jpg" alt="226.jpg" width="89" height="130"  border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />著者名：森竹竹市<br />出版社：えぞや<br />出版年：1977<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />アイヌ民族を代表する歌人三人。<br />すなわち、バチェラー八重子、違星北斗、そして森竹竹市。<br />森竹竹市は、戦時中ということもあって、他の二人に較べてその表現が過激ではなく、それ故評価が低いという側面が伝えられる。<br />はたして、そうだろうか？<br />個人的には、最も普遍性を備え、クオリティの高い作品を残したのが森竹竹市だと感じる。<br />弱いのではなく、深い。<br />激しくないのではなく、遠い時間まで見通せたまなざし。<br />長いときを経て、それは歴然としたように思う。<br />たしかに、「運動」と「表現」、この関係性は難しい。<br />それは、今も昔も変わらない。<br />「運動」に対して直接的に貢献できるものを、運動家たちは喜ぶ。<br />だが、その直接性が強ければ強いほど、その表現、作品の命は短い。<br />皮肉な関係性だが、互いにもっと広い視野と、もっと長い時間的スパンを共有することによって、それは解決できるのではないか。<br />非常に困難な作業ではあるが、いまの短絡的な世界のなかで、そういった視点は、もっとも必要であり、求められているものではないか。<br />それにしても、アイヌの表現者たちのものは、なぜこんなにも「遺稿集」ばかりなのか。<br />やりきれなさを感じる。
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<item rdf:about="http://nao-ph.hontsuna.net/article/2072670.html">
<title>『遺稿 コタン』違星北斗（草風館）／1995年</title>
<link>http://nao-ph.hontsuna.net/article/2072670.html</link>
<description>『遺稿 コタン』著者名：違星北斗出版社：草風館出版年：199527歳の若さで逝ったアイヌ民族の歌人、違星北斗の遺稿集。違星北斗もまた、アイヌ民族解放を志した歌人である。ただ、やはりバチェラー八重子の歌と同様、その稚拙さは否めない。ただ、散文にはキラリと光るものがある。もし、もっと長く生きていたらアイヌ現代文学を代表する文学者になっていたかもしれない。違星北斗の面白いのは、批判の対象が、差別者である日本人にばかり向けられるのではなく、その差別を受け入れているアイヌに向けられてい</description>
<dc:subject>アイヌ</dc:subject>
<dc:creator>NIHEI</dc:creator>
<dc:date>2008-07-29T01:12:52+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<blockquote><br /><table><tr><td valign="top" colspan="2" class="text">『遺稿 コタン』</a></td></tr><tr><td valign="top" class="text"><img src="http://nao-ph.hontsuna.net/image/225.jpg" alt="225.jpg" width="90" height="130"  border="0"></a></td><td valign="top" class="text"><br />著者名：違星北斗<br />出版社：草風館<br />出版年：1995<br /></td></tr></table><br /></blockquote><br />27歳の若さで逝ったアイヌ民族の歌人、違星北斗の遺稿集。<br />違星北斗もまた、アイヌ民族解放を志した歌人である。<br />ただ、やはりバチェラー八重子の歌と同様、その稚拙さは否めない。<br />ただ、散文にはキラリと光るものがある。<br />もし、もっと長く生きていたらアイヌ現代文学を代表する文学者になっていたかもしれない。<br />違星北斗の面白いのは、批判の対象が、差別者である日本人にばかり向けられるのではなく、その差別を受け入れているアイヌに向けられている点である。<br />アイヌとして自らも生きることが困難だった時代、そうすることで自らを励まし、歌を書いていたのかもしれない。<br />人間としても、愛くるしさを感じる。
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