2008年08月09日

別冊太陽『先住民 アイヌ民族』(平凡社)/2004年


先住民アイヌ民族
著者名:
出版社:平凡社
出版年:2004.10
ISBN :9784582944778


アイヌ民族の生活、その様式、「ユーカラ」を含む文化、宗教、儀式等々、ヴィジュアル豊かにみせてくれる。
入門書としては、手頃かもしれない。
ただ、ここで示されている自然とともに培ってきた豊かなその文化を、殺しつづけてきた歴史を私たち日本人はもつということを忘れたくない。
それを忘れてしまったとき、加害者であるにもかかわらず、観光客になってしまう。
それを忘れなければ、アイヌの文化の豊かさ、そして私たちが殺し、同時に失ってきたものもよく見えるに違いない。
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2008年08月07日

『gen 掛川源一郎が見た戦後北海道』(北海道新聞社)/2004年2刷


gen
著者名:掛川源一郎(著)
出版社:北海道新聞社
出版年:2004.04
ISBN :9784894532939


掛川源一郎もまた、木下清蔵同様、アイヌを撮りつづけた写真家である。
ただ、掛川の場合、その被写体はアイヌだけに限らなかった。
でも、不思議だ。
掛川源一郎の写真を見ていると、不思議な感覚に襲われる。
この感覚は何だろう。
例えば、自然とともに生活する人たちがいる。
例えば、無邪気に遊ぶ子どもたちがいる。
例えば、厳しい山々がある。
どれも素晴らしい。
その素晴らしさは、どれも共通する。
気配だ。
何の気配だろう。
それを言葉にするのは、難しい。
アイヌの言葉でいえば、「カムイ(神)」というのが、もっともしっくりくる。
この「カムイ」というのは、私たちが知っている、あるいは認知している「神」とは違う。
生活をともにしている神といえばいいだろうか。
あるいは、生活する神。
掛川源一郎の写真には、いつでもこの「カムイ」の気配で満ちている。
それゆえ、どの写真も優しい。
その優しさは、ウェットなものではなく、きわめて乾いている。
人間も自然もつつむカムイのその優しさに、魅かれてならない。
この写真集には、文化人類学者の山口昌男や写真家の吉田ルイ子などそうそうたる人が寄稿しているが、そのなかに工藤正廣の名があった。工藤正廣氏は、ここでも紹介した『パステルナール詩集』の翻訳者である。全く別のジャンルの人の名を発見することは、なにやらうれしくなる。
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2008年08月06日

『レラコラチ 風のように 森竹竹市遺稿集』(えぞや)/1977年


『レラコラチ 風のように 森竹竹市遺稿集』
226.jpg
著者名:森竹竹市
出版社:えぞや
出版年:1977


アイヌ民族を代表する歌人三人。
すなわち、バチェラー八重子、違星北斗、そして森竹竹市。
森竹竹市は、戦時中ということもあって、他の二人に較べてその表現が過激ではなく、それ故評価が低いという側面が伝えられる。
はたして、そうだろうか?
個人的には、最も普遍性を備え、クオリティの高い作品を残したのが森竹竹市だと感じる。
弱いのではなく、深い。
激しくないのではなく、遠い時間まで見通せたまなざし。
長いときを経て、それは歴然としたように思う。
たしかに、「運動」と「表現」、この関係性は難しい。
それは、今も昔も変わらない。
「運動」に対して直接的に貢献できるものを、運動家たちは喜ぶ。
だが、その直接性が強ければ強いほど、その表現、作品の命は短い。
皮肉な関係性だが、互いにもっと広い視野と、もっと長い時間的スパンを共有することによって、それは解決できるのではないか。
非常に困難な作業ではあるが、いまの短絡的な世界のなかで、そういった視点は、もっとも必要であり、求められているものではないか。
それにしても、アイヌの表現者たちのものは、なぜこんなにも「遺稿集」ばかりなのか。
やりきれなさを感じる。
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2008年07月29日

『遺稿 コタン』違星北斗(草風館)/1995年


『遺稿 コタン』
225.jpg
著者名:違星北斗
出版社:草風館
出版年:1995


27歳の若さで逝ったアイヌ民族の歌人、違星北斗の遺稿集。
違星北斗もまた、アイヌ民族解放を志した歌人である。
ただ、やはりバチェラー八重子の歌と同様、その稚拙さは否めない。
ただ、散文にはキラリと光るものがある。
もし、もっと長く生きていたらアイヌ現代文学を代表する文学者になっていたかもしれない。
違星北斗の面白いのは、批判の対象が、差別者である日本人にばかり向けられるのではなく、その差別を受け入れているアイヌに向けられている点である。
アイヌとして自らも生きることが困難だった時代、そうすることで自らを励まし、歌を書いていたのかもしれない。
人間としても、愛くるしさを感じる。
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2008年07月26日

『若きウタリに』バチェラー八重子(岩波現代文庫)/2003年


若きウタリに
著者名:バチェラー八重子(著)
出版社:岩波書店
出版年:2003.12
ISBN :9784006020781


アイヌ民族出身のキリスト教伝道者であるバチェラー八重子の歌集。
初版は、金田一京助の尽力により1931年に出版されている。
その際は、写真家掛川源一郎の写真も併載されていたという。
キリスト教は、近代においてアイヌ民族のなかで微妙な影響力をもっていた。
おそらくそれは、「平等」という概念ではないかと思われる。
「旧土人」として差別されつづけたアイヌ民族。
それに最初に異を唱えたのがバチェラー八重子だった。
キリスト教伝道者として、と同時にアイヌ民族解放者としても、立派な功績を残した。
もちろん、アニミズムのアイヌ民族の宗教と、キリスト教の相容れない部分もある。
熊送りの儀式イヨマンテを八重子は野蛮なものとして批判しつづけた。
とはいえ、彼女の実績はまだまだ語り足りないように思われる。
だが、歌人としてはどうか?
個人的には、まったくいただけない。
アイヌに限らず、解放運動などの初期には、あまりに直截な表現がとられることが多い。
そのなかに、どれだけ普遍性があるかが問われるわけだが、八重子の歌にはあまりそれを感じられない。
彼女の伝道者としての活動に較べると、歌はあまりに稚拙である。
日記のような印象。
それゆえに資料的な価値はあるかもしれない。
ただ八重子の生きた時代、その時代のアイヌ民族の生活、そして何より八重子自身の生涯、これには興味をもたざるを得ない。
幼少期にキリスト教伝道師バチェラーの養女となる八重子。この行為自体、違和感を覚えるほど、謎に満ちているように思われる。
そして、八重子をとりまく人物たちの相関図もまた、その時代とアイヌ民族の縮図のように感じられ、興味は尽きない。
まだまだ調べなければならない。
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2008年07月13日

『シラオイコタン 木下清蔵遺作写真集』(アイヌ民族博物館)/1988年


『シラオイコタン 木下清蔵遺作写真集』
223.jpg
著者名:木下清蔵
出版社:アイヌ民族博物館
出版年:1988


白老のアイヌの人たちを撮りつづけた木下清蔵の遺作写真集。
アイヌの古い資料写真は、ほとんど木下清蔵の写真が使われている。
それほど、木下清蔵の写真は貴重だ。
木下清蔵の写真は、静かで優しい。
被写体との距離があたたかい。
ともに生活した者への信頼がアイヌの人たちにあるのだろう。
写真としても、かつ資料としても、間違いなく一級のものだ。
そして、装丁もまたすばらしい。
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2008年07月12日

『アイヌ学の夜明け』梅原猛・藤原久和 編(小学館)/1990年


アイヌ学の夜明け
222.jpg著者名:梅原猛(編集)
     藤村久和(編集)
出版社:小学館
出版年:1990.05
ISBN :9784093900324


アイヌについては、『ユーカラ』に代表されるように言語を中心として研究されてきた。あるいは、「イヨマンテ」などの儀式、風俗、考古学などの個別の研究。
アイヌの人たちの減少、研究者の不足、それと対照的に、残された膨大な資料という現実からも推察できるように、個別の研究はなされても、アイヌ全体にまでは至っていない。
本書は、宗教をその根底にすえ、アイヌ全体を改めて見直す作業として、「アイヌ学」をかかげている。
哲学者梅原猛とアイヌ研究家の藤原久和が、アイヌをめぐる多くの人たちと対談、あるいはシンポジウムという形で話を聞いてゆく。
アイヌ研究者は、外国人が多いというのには、驚かされた。
そして、第二次世界大戦で、アーリア人を最高の民族としているドイツが極東の黄色人種である日本となぜ軍事同盟を組んだのか、その理由にアイヌが大きくかかわっていたことにも驚かされた。ヨーロッパ人にとって、日本の祖先はアイヌ民族であり、彼らは白人である、よって日本人は白人を祖先とする民族であると考えられたことによるという。アイヌ研究が海外で進んでいるのも、少なからずその考え方の影響によるという。
資料もまた、海外に多く存在しているともいう。
ここでは、国策や、その影響を受けた金田一京助らによって、日本とアイヌは民族的に無関係であるという学説をもう一度見直し、海外との共同研究を呼びかけている。
アイヌからは、哲学的思考方法まで学ぶことができることを痛感させられた。
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2008年07月11日

『アイヌ神謡集』知里幸恵 編訳(岩波文庫)/1993年21刷


アイヌ神謡集
著者名:知里幸恵(編訳)
出版社:岩波書店
出版年:2002.12
ISBN :9784003208014


「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という美しい言葉から入る『アイヌ神謡集』
なんとおおらかで、豊かなリズムだろう。
アイヌにとって、すべてのものが同じ地平に存在し、すべてに神が宿る。
その世界観は、優しく、ときにユーモラスでさえある。
本書は、アイヌ語との対訳になっており、アイヌ語の音も楽しめる。
編訳の知里幸恵は、アイヌの才女。金田一京助との出会いにより、その才能を花開かせるが、19歳という若さで逝ってしまった。
知里幸恵自身の心あたたまる脚注に、その人柄が、そしてアイヌの豊かさがうかがえる。
この豊かなアイヌを迫害し、差別し、ときに虐殺までしたのは、私たち日本人だった。私たちの祖先かもしれないにもかかわらず。
消されてゆくアイヌのその歴史のなかに、実は近代日本の暗い闇の精神性が隠されている。
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