2008年09月26日

現代俳句の世界6『中村草田男集』(朝日文庫)/1984年


現代俳句の世界 6
230.jpg著者名:中村草田男(著)
出版社:朝日新聞社出版局
出版年:1984.01
ISBN :9784022609267


縁というものは、まことに不思議なものである。
そもそも中村草田男の名は、寺山修司を通じて知った。
日本の演劇人のなかで、僕が最も影響を受けたのが寺山修司だった。
その寺山修司が10代で歌人として華々しくデビューしたとき、盗作問題が起こった。
その盗作された方が、この俳人中村草田男であった。
今年2008年、愛媛県久万高原町にある町立久万美術館では、開館20周年記念として『万作と草田男―「楽天」の絆』(10/4[土]−11/24[月・祝])を開催する。
この展覧会のための映像作品を、詩人であり、映画監督である稲川方人さんが依頼された。
「CLASS OF 1916」
伊丹万作亡き後、友人である中村草田男が書いた手紙の言葉と、ふたりに縁のある松山の風景で構成された20分ほどの作品。
死者への想いが、時代を越えて松山の叙情のなかで強く立ち上げられている。
この作品の音楽を、僕が依頼された。
稲川方人監督作品の音楽は、前作のドキュメンタリー映画『たった8秒のこの世に、花を』につづいて二作目。
そこで、買ったまま読んでいない本書があることを思い出した。
意外にも、カバー装画は現代美術家の宇佐美圭司。少し和風になっていて、妙な感じがする。
ところで、今年11月には、同じ愛媛県の松山で、寺山修司作の市街劇が上演される。
この作品には、松山在住の大学時代の演劇部の先輩が出演する。
寺山修司と中村草田男のこともふくめて、何とも奇妙なめぐりあわせだ。
僕はこの展覧会のオープニングで、急遽ミニライブをすることになった。
そこで、その先輩とは再会することになるだろう。

松山、数十年ぶりに訪れる、母が育った街。

「外光や友亡き者の冬の旅」中村草田男
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2008年04月03日

『はたけの詩(うた)』大久保テイ子・詩 渡辺安芸夫・絵(教育出版センター)/1991年2刷


はたけの詩
190.jpg著者名:大久保テイ子(著)
出版社:教育出版センター新社
出版年:1986.12
ISBN :9784763242501


大久保テイ子さんの詩も、はせみつこ編纂『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』(飯野和好・絵)に収められている。
大久保テイ子さんの詩も『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』の舞台で、演目のひとつとなっていた。
この舞台で、日本全国をまわったとき、大久保テイ子さんの住む北海道でも上演した。
大久保テイ子さんも観にきたのだが、残念ながら僕はお会いすることができなかった。
いまとなっては、悔やまれてならない。
大久保テイ子さんの『かぶとごぼう』では、子どもたちは何ともくすぐったい笑いをもらしていた。
『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』は、絵本作家の飯野和好さんが挿絵を担当しているのだが、飯野さんの描いたかぶの絵が大久保テイ子さんそっくりだという。もちろん、飯野さんは大久保テイ子さんの顔を知らなかった。飯野さんの描く絵は、ときどきこういうことが起こる。
やはり、あのときお会いしておけばよかった。
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2008年03月05日

『血のたらちね』古賀忠昭(書肆山田)/2007年


血のたらちね
187.jpg著者名:古賀忠昭(著)
出版社:書肆山田
出版年:2007.11
ISBN :9784879957221


なんと恐ろしい詩集だろう。
そして、なんと美しい詩集だろう。
ここに描かれているのは、最低の人間ではない。
ここに描かれているのは、人間の最低なところから見つめられた世界。
全編、久留米の方言で書かれているが、そこから生まれるリズムは本当に美しい。
古賀さんは、30年の沈黙を守ってきた。
それが今、堰を切ったように怒涛の勢いで溢れ出しはじめている。
30年間の沈黙は、まさに沈黙で、書き溜めていたのではない。
30年間の沈黙の後、今ふたたび詩の筆をとった。

そのことは、詩人の稲川方人さんから聞いていた。
ある日、稲川さんのところに古賀さんからびっしり書き込まれたノートが数冊送られてくる。(そのノートは、僕も見せてもらったが、まさにびっしりと文字で埋め尽くされていた)
古賀さんは自分の病を知り、堰を切って書かれた詩を稲川さんに託した。
まさに生命の息吹のような言葉を。
古賀さんと稲川さんは30年以上前に知り合っているが、面識はないという。
なんとも不思議な縁だ。
この詩集の装丁も、稲川さんが担当している。

「マイノリティのまなざしから世界を見直す」と言葉で言うのは簡単だが、これほどまでにマイノリティの、しかも個人からつむがれた悲痛ともいえる言葉を僕は他に知らない。
今後も詩集は刊行されてゆくだろう。
それが詩の世界はもちろんのこと、今、ともに生き、生活をしている者たちに開かれてゆくことを願ってやまない。

手元にある古賀忠昭さんの著作は、下記の通り。
* 詩集『土の天皇』(私家版)1975年
* 長編詩『血ん穴』(弦書房)2006年
* 現代詩手帳1977年10月号(「エッタ」所収)
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2008年01月15日

『聖−歌章』稲川方人(思潮社)/2007年


聖−歌章
172.jpg 著者名:稲川方人(著)
出版社:思潮社
出版年:2007.10
ISBN :9784783730286


危機に瀕した現在の世界は、困難である。
その困難な世界にいて、詩を書くこともまた、困難である。
そのなかで、世界と正確な距離を保ちながら対峙しつづける詩人の存在、それもまた困難である。
近代以降、あるいは人間が近代を意識して以降、あるいはアウシュヴィッツ、南京、広島・長崎以降、あるいは冷戦構造崩壊以降、あるいは9.11以降、その困難さは後戻りできないだけに複雑さを増すばかりである。
近代以降の困難な世界のなかで、この一冊の詩集『聖−歌章』は、ひとつの金字塔といえるだろう。
「9.11以降、ますます詩の役割は大きくなった」
「詩を書くのは、世界と対峙するため」
これらの強い言葉は、実際に稲川方人さんの口から聞いた言葉である。
パレスチナの詩人ダルウィーシュと、互いに遠く離れた場所にいるが、たしかにこの困難な世界を通じて、ふたりはつながっている。
そのようなつながりのなかで、世界は新たな様相を示してくるだろう。
そして、改めてジャン・リュック・ゴダールの『ベトナムから遠く離れて』を思い出したりもする。

ここ数年、稲川さんとは「歌唱ライブ」という新たなジャンルで仕事を一緒にしている。
現代詩と身体的な声を、音楽で結ぶ実験といえる。
稲川さんをはじめ、瀬尾育生さん、倉田比羽子さん、守中高明さん、伊藤悠子さんの現代詩に、僕が曲をつけ、パフォーマーの祥子-SHOKOが歌う。
多少、歌のために変更されてはいるが、この『聖−歌章』におさめられた2編の詩も、そのレパートリーに入っている。

手元にある稲川方人さんの著作は、下記の通り。
* 詩集『償われた者の伝記のために』(書記書林)1976年
* 詩集『封印』(思潮社)1985年
* 詩集『われらを 生かしめる者は どこか』(青土社)1986年
* 詩集『アミとわたし』(書肆山田)1988年
* 詩集『2000光年のコノテーション』(思潮社)1991年
* 詩集『君の時代の貴重な作家が死んだ君が書いた幼い詩の復習』(書肆山田)1997年
* 『稲川方人 全詩集』(思潮社)2002年
* 『彼方へのサボタージュ』(小沢書店)1987年
* 『反感装置』(思潮社)1987年
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2007年11月16日

『エルサレムの詩 イェフダ・アミハイ詩集』翻訳・村田靖子(思潮社)/2003年


エルサレムの詩
著者名:イェフダ・アミハイ(著)
     村田靖子(編訳)
出版社:思潮社
出版年:2003.12
ISBN :9784783728580


イェフダ・アミハイは、イスラエルの現代詩人。
パレスチナの詩人ダルウィーシュと比べて、意外にもはるかに平易に書かれている。
奇妙な関係の逆転を感じる。
アミハイの詩は、平易で、たしかに美しく、すぐれている。
だが、どこか引っかかる。
この平易さが引っかかる。
アミハイは、若い頃にユダヤ教を捨てている。
そのことによって、アミハイはどのポジションに立つことになったのだろうか。
本人の意思とはかかわりなく、どの立場にも立ち得なくなってしまったのではないか。
困難な世界と対峙するポジションからはずれてしまったのではないか。
そんな気がしてならない。
美しいことが、その絶望をより深める。
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2007年11月14日

『壁に描く』マフムード・ダルウィーシュ 訳・四方田犬彦(書肆山田)/2006年


壁に描く
著者名:マフムード・ダルウィーシュ(著)
     四方田犬彦(訳)
出版社:書肆山田
出版年:2006.09
ISBN :9784879956835


マフムード・ダルウィーシュは、パレスチナの現代詩人。
かつて、その詩は、軍隊一個師団にも匹敵するとイスラエルに恐れられた。
そこからもうかがえるように、初期の詩は直截なものが多かった。
しかし、この新しい詩集では、そういった直截さは消え、ある意味では難解になっている。
それは、詩を書くことの困難さをあらわす。
それは、書かれる世界の困難さをあらわす。
この困難な世界に、この思考停止をうながす世界の困難に、真正面から向き合い、詩人が新たな詩語をつむぎだすことの困難を引き受けなければ、詩さえ死んでしまう。世界とともに。
それを自覚していないものは、もはや詩人の役割を果たしえない。
それほど世界は絶望的に変貌してしまった。
それほど生命の倫理は殺されつづけた。
パレスチナはそんな世界の縮図である。
その世界と対峙するために苦しむ詩人がいれば、祈りが生まれる余地が絶望的な悲しみのなかに見出せもする。
そんな詩人がいま世界にどれほどいるだろうか。
この日本では、どうか。
たしかにいる。
たとえば、稲川方人のように。
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2007年11月02日

『道を 小道を』伊藤悠子(ふらんす堂)/2007年


道を小道を
169.jpg著者名:伊藤悠子(著)
出版社:ふらんす堂
出版年:2007.07
ISBN :9784894029361


この透徹さはどこから来るのだろうか。
存在の虚を感じる。
その存在は、肉体というと重すぎ、神経というと細すぎる。
もっと軽やかで、そして強靭な優しさ。
存在が虚をはらんでいるとしか言いようがない。
伊藤悠子さんがクリスチャンであることとも無縁ではないだろう。
その身体に寄り添うように叙情がたちあがる。

実は、この詩集におさめられている詩二編に、僕は曲をつけた。
以前から「祥子-SHOKO歌唱ライブ」を展開している。企画は、詩人の稲川方人さん。それは、稲川さんの他、瀬尾育生さん、倉田比羽子さん、守中高明さんという4人の現代詩人の詩に僕が曲をつけて、パフォーマー祥子-SHOKOが歌うという、現代詩の言葉と身体化した声との音楽的実験である。
今年の8月に上演された「歌唱ライブ」から、伊藤悠子さんの詩が加わった。
『吹いていく』」と『榎ヶ原』
出来上がった曲を聞いて、伊藤悠子さんはこう言ってくれた。
「一度聞いてしまうと、もともとこの詩にはこのメロディがあったのではないかと感じます」
うれしかった。
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2007年02月13日

『中空前夜』須永紀子(書肆山田)/2006年


中空前夜

著者名:須永紀子
出版社:書肆山田
出版年:2006.01
ISBN :9784879956613


詩人の須永紀子さんとはじめてお会いしたのは、祥子歌唱ライブ『悲劇の恋/歌』初演のときだった。須永さんには、制作として協力していただいた。
須永さんの詩は、等身大のリズムでつらぬかれ、そのベースには生活がある。そういった意味で、社会から脱落している僕などからはある種うかがいしれないところがある。
それは、時に凡庸さとしてあらわれ、時に狂気としてあらわれる。その狂気を詩の言語のきらめきとよぶにはどこかためらいを覚える。それは、決して女性の業としての狂気ではない。
この詩集『中空前夜』は、7冊目の上梓だという。全部の詩集を読んでいるわけではないが、一冊ごとにその凡庸な部分は姿を消し、この狂気のきらめきが増えているように感じる。それが何やら僕を不安にさせる。
詩の同人誌『雨期』を主催し、それは既に47号にものぼっている。その持久力にも驚かされる。
現在は、詩の朗読も精力的に行なっている。

手元にある須永紀子さんの詩集は、下記の通り。
* 詩集『わたしにできること』(ミッドナイト・プレス)1998年
* 詩集『至上の愛』(ミッドナイト・プレス)2002年
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2006年11月26日

『アンユナイテッド・ネイションズ』瀬尾育生(思潮社)/2006年


アンユナイテッド・ネイションズ
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著者名:瀬尾育生(著)
出版社:思潮社
出版年:2006.08
ISBN :4783721548



詩人の瀬尾育生さんとはじめてお会いしたのは、2年前の祥子歌唱ライブ『悲劇の恋/歌』のときだった。
祥子歌唱ライブ『悲劇の恋/歌』は、詩人の稲川方人さんが企画したもの。倉田比羽子さん、守中高明さん、稲川方人さん、そして瀬尾育生さんの現代詩人4人が書き下ろした詩に、僕が曲をつけ、パフォーマーの祥子が歌った。ピアノ演奏は、清光美郷。音楽を介した現代詩と身体、声の実験だった。
このとき最も作曲に苦労したのが、瀬尾さんの詩だった。一見、瀬尾さんの詩はその形式からいっても、最も作曲しやすそうに見える。だが、そこには幾重にも張りめぐらされた罠が満ちている。おそらく、朗読するのも、そう困難なことではないと思わせる。つまり、瀬尾さんの詩の言語に対して、身体や声が葛藤をもたなくてもよいのではないかという錯覚を起こさせる。これは、身体や声の側から言うと、明らかな罠である。言い換えれば、そこに瀬尾さんの詩の言語の強度がある。別次元への移行を阻止するような強度。逆に言えば、身体や声が実は強烈に問われているのである。故に、身体や声が、この詩の言語との葛藤を通過せずに、ライブや朗読会、パフォーマンスを行なった場合、観客に何も残さず、読んだほうがいいという結果になる。
このライブでは、瀬尾さん作詞のものは2曲つくったのだが、さいわい好評だったようで、ホッとしている。

瀬尾さんの最新詩集『アンユナイテッド・ネイションズ』は、かなり刺激だった。もはや実験とは、詩集のなかでしか実現できないのかと思うほど、鮮烈だった。それほど、他のジャンルのものは保守化し、別の力で動いている。
この詩集は、あらゆる次元で実験が行なわれている。詩の言語それ自体はもちろんのこと、形式、そしてそこで組み上げられる世界。その世界は、現在の世界と直結している。それは、新たな普遍性をはらんでいる。
現代詩に限らず、あらゆるジャンルの表現が、岐路に立たされている。世界が岐路に立たされつづけているように。そのなかで、この詩集は、新たな指針を示している。少なくとも、ひとつの亀裂を走らせた。
詩の貧困さは、文化それ自体の貧しさを端的にあらわしている、といつも思う。今後、この詩集のような世界と直接対峙する詩が多数、しかも多面的に登場することへの期待を抱かされた。
そして、演劇人の自分もまた、どのように応答するか問われている。

瀬尾育生さんの作品で、手元にあるものは下記の通り。
* 詩集『吹き荒れる網』(弓立社)1981年
* 詩集『らん・らん・らん』(弓立社)1984年
* 詩論集『文字所有者−詩、あるいは言葉の外出』(思潮社)1988年
* 評論集『われわれ自身である寓意−詩は死んだ、詩作せよ』(思潮社)1991年
* 現代詩文庫『瀬尾育生詩集』(思潮社)1993年
* 詩論『あたらしい手の種族』(五柳書院)1996年
* 詩集『モルシェ』(思潮社)1999年
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2006年11月15日

『河村悟詩集 黒衣の旅人』(書肆あむばるわりあ)/2006年


河村悟詩集 黒衣の旅人
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著者名:河村悟
出版社:書肆あむばるわりあ
出版年:2006


詩人の河村悟さんとのおつきあいは、もうかれこれ10年以上になる。
最初にお会いしたのは、銀座の青木画廊ではなかっただろうか。
当時、渋谷に住んでいた河村さんのお宅には、詩人や美術家、舞踏家、編集者など様々な人が出入りしていた。
そこで、彼と一緒に実験的文芸同人誌『花粉』を一緒に作ったりした。
その後、彼はそこをたたみ、革のトランクひとつもって、放浪の生活に入る。かなり厳しい生活ではなかっただろうか。その間も、舞踏論や詩を書きつづけている。
興味深いのは、彼が彷徨う先で版元があらわれ、地方から本がちゃんと出版されるということだ。
やがて、河村さんは博多に拠点を見出す。そして、いまは京都にとどまっている。
今回の詩集『黒衣の旅人』は、なぜか香川県の人が版元になっている。その人は果樹園を経営しているという、
今回の詩集は、今までと違って、魂の方から身体に迫っていると感じる。その拮抗の仕方は、なぜか僕にスーフィーを想起させた。
スーフィーとは、12世紀頃起こったイスラムの異端的教えである。ギリシア哲学とイスラム教が、結びつくために限界まで拮抗した。だが、それはイスラムの世界では異端として、多くの者が処刑された。
河村さん自身は、1986年に思潮社から出版した詩集『聖なる病い』の続編のつもりで書いたと言っていた。
この詩集の出版にあたって、銀座の青木画廊で河村さんの写真展と朗読会が開かれた。
彼の朗読を聞くのは何年ぶりだろう。これもずいぶん変わったと感じる。それは、詩集を読んだときの印象と同じだ。そして、言葉はより届いていたように思う。
写真は、ポラロイドに傷を入れた作品群と、カメラを使わない光の痕跡の作品群。僕は後者を気に入っている。
河村悟という詩人は、僕にとって節目々々で大きな示唆を与えてくれる人だ。久しぶりにお会いした今回もたしかに僕は受けとったものがある。

手元にある河村悟さんの作品は下記の通り。
* 詩集『スピリチュアルタイクーンの為の舞踏メモ』(メルクリウス社)1984年
* 詩集『聖なる病い』(思潮社)1986年
(絶版のため、著者からコピーをいただいた)
* 『夜の果てへの小さな祈り』
(原稿のコピー。これは、現在も執筆中)
* 『純粋思考物体』
(生原稿のコピー。これも執筆がつづいている)
* 『花粉 bP〜bR』(メルクリウス社)1992年〜93年
* 『エンジェリック・カンバセーション 笠井叡+河村悟 対談』(リベール社)1993年
* 『毛深い砂漠を横切って』詩/河村悟 画/高松衣緒里(未来工房)1995年
* 『土方巽「病める舞姫」論 肉体のアパリシオン−かたちになりきれぬものの出現と消失』(クレリエール出版)2002年
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2006年08月08日

『おひさまのかけら「こどもの詩」20年の精選集』川崎洋 編(中央公論新社)/2005年


おひさまのかけら


著者名:川崎洋(編集)
出版社:中央公論新社
出版年:2003.02
ISBN :4120033597


読売新聞の「こどもの詩」のコーナーは、もう40年もつづいているという。
その40年のうちの1982年から2002年までの20年間は、詩人の川崎洋が選評を担当した。
本書は、その20年間投稿された子どもたちの詩の精選集。
ときに子どもたちのユーモアに笑い、ときにその新鮮なまなざしにドキリとさせられ、ときのその無垢な言葉に涙が流れる。
この詩集は、2004年ことばパフォーマーのはせみつこさんによって3枚組のCDになった。作曲とピアノを担当したのは、中地雅之さん。
ちなみに僕ははせさんの舞台の演出を13年担当している。この『おひさまのかけら』も、ライブとして上演した。子どもも驚くほどの集中力で聞いていた。やはり、子どもたちの息づかいそのままのような言葉は、力を持っていると痛感した。
残念ながら、川崎さんは2004年お亡くなりになった。一度お会いしたかった。

この川崎洋編の「子どもの詩」は、別に以下の本がある。
* 『あたまわるいけど学校がすき』(中公新書ルクレ)/2002年
* 『にんげんぴかぴか』(中公新書ルクレ)/2005年
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2006年05月06日

『中原中也全集 別巻 研究篇』(角川書店)/1974年


中原中也全集 別巻 本文補遺・研究篇
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著者名:中原中也
     大岡昇平
出版社:角川書店
出版年:2006.05
ISBN :4045717064


中原中也が参加した座談会の唯一残された記録が掲載されている。
他に深田獅子雄氏の「病歴」は興味深かった。
それにしても、全集の編纂作業は想像を絶する。
先日、詩人の入沢康夫さんに「草野心平日記全集」の編纂時の話をうかがう機会があったが、それはそれは根気のいる仕事だ。
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2006年01月07日

『中原中也全集4 日記・書簡』(角川書店)/1974年


中原中也全集 第4巻 日記・書簡
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著者名:中原中也
出版社:角川書店
出版年:1968.02
ISBN :4045717048


中原中也が今なお生きつづけているのは、彼の詩が「うた」だからだろう。
中也は、「逸脱」と「禁止」のギリギリの境界線上でそれを行なった。つまり、どちらかに流れてしまうのを詩作の時間にだけは、強引にバランスをとろうとした。そうしなければ、「うた」は生まれないと中也自身思っていた。奔放、あるいは奇矯なふるまいによって、そのイメージが強い中也ではあるが、「うた」に対しての意志は強い。
同時代の詩人仲間たちは、実際の中也の行動に迷惑をこうむっていたために、それを正当に評価できなかったが、あまり交流のなかった萩原朔太郎や室生犀星などは、中也の「技術」「技巧性」を高く評価していた。
極度の「逸脱」と極度の「禁止」、これは中也の日常でも起こっていた。息子文也の死など、それをうながす事柄も多く起こっていた。それが、この日記と書簡からうかがわれる。
あまり「作品」と「日常生活」を結びつけたくはないが、日常の行為ではなく、詩作の根源を知るうえでは、この『日記・書簡』は貴重なものである。

余談ではあるが、作家安部公房が没したとき、日記が残されていたという。それを夫人が焼き捨てた。そして、夫人もまた後を追って死を選んだ。あまり事情も知らず、迂闊にものは言えないが、何とも残念だ。安部公房自身、死後発表されることをどう思っていたのだろうか。個人的に思うのは、筆をとって仕事をしていた者にとって日記といえどもどこか発表を前提としている。
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2006年01月05日

『ぼくは12歳』岡真史(ちくま文庫)/1995年


ぼくは12歳
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著者名:岡真史
出版社:ちくま文庫
出版年:1995


2005年春、僕はアコーディオンの曲ばかり聞いていた。
ある日、ラジオからアコーディオニストの御喜美江さんのコンサートの情報が流れる。ゲストは、現代音楽家の高橋悠治氏という。さっそく予約し、聞きに行った。素晴らしかった。
これを機会に、高橋悠治氏のCDを聞く。そのなかに『ぼくは12歳』(詩:岡真史/音楽:高橋悠冶/唄:中山千夏)があった。
不思議なアルバムだった。なぜか何度も何度も聞いてしまう。
岡真史は、作家の高史明氏の息子であり、12歳で投身自殺している。
彼の生前の書きためていた詩が『ぼくは12歳』としてまとめられていた。
その詩に高橋悠冶氏が曲をつけたのだ。

後日、また偶然にもこの本『ぼくは12歳』を手に入れる。
これは、生前の詩の他に作文を掲載し、あわせて両親と読者の往復書簡を併収している。
なんとも辛い本だ。いつまでも消えることのない両親にとっての「なぜ?」 にもかかわらず、読者への呼びかけには敬服してしまう。

この本を読んでいる間に、中学時代の友人が自殺したという訃報を受けとる。
岡真史、彼もまた僕の同世代だ。
なぜか同世代のふたりの友人の自殺を同時に受けとったような錯覚に陥った。

「ひとり
 ただくずれさるのを
 まつだけ」

(「ひとり」岡真史)

[追記]2008年3月9日
*『ぼくは12歳』(筑摩書房)1977年21刷
 やはり、詩集は文庫ではなく、大型の本で読みたい。
 読み直してみて、また印象が変わった。
 だが、残念ながらこの本は絶版となっている。
*『ぼくは12歳』(角川文庫)1982年
 この版で興味深いのは、アルバムが入っていることである。
 もともと『ぼくは12歳』は、両親である高史明、岡百合子夫妻が、香典返しのようにして、自費出版したものが最初である。
 その版に含まれているアルバムがこの角川文庫版に収められている。
 着ているもの、髪型など、同世代の者としては、懐かしくも、胸がしめつけられる。
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2005年12月28日

『原爆詩集』峠三吉(青木文庫)/1964年


原爆詩集
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著者名:峠三吉
出版社:青木文庫
出版年:1964

「にんげんをかえせ」と訴えかける序からはじまるこの詩集は、原爆を語る上で欠かせない一冊である。

だが、考えてしまう。
当事者とそうでない者との違い。
それは、簡単に言ってしまえば、「直接性」と「普遍性」の問題。
当事者の証言は重要だが、表現の世界で優れたものは少ないと感じている。そこに記憶のリレーのあり方の難しさがある。単一性に流れてしまうと、表現する必要さえなくなってしまう。そこにU世以降の遅れてきた者たちの役割があるとも思っている。
例えば、原爆体験者であり、医師でもある御庄博実の『御庄博実詩集』(思潮社/現代詩文庫 2003年)にも同じことを感じる。
あるいは、張貞任の『歴史詩集従軍慰安婦 あなた朝鮮の十字架よ』(影書房 1992年)にも、強烈に感じる。啓蒙することを考えているのかもしれないが、この詩集を読むよりも実際の証言集を読むべきだと。
やはり、「直接性」と「普遍性」の問題か。もちろん、すぐれた作品ほど、このふたつをきれいに区分けすることはできないが。(例えば、パレスチナの作家、ガッサーン・カナファーニの諸作品を僕は思い浮かべる)

いずれにしても、これもまたまとまった形で考察しなければならない事柄だ。
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2005年12月26日

『「歴程」創刊同人展』図録(いわき市立草野心平記念文学館)/2003年


『「歴程」創刊同人展』図録
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出版社:いわき市立草野心平記念文学館
出版年:2003

錚々たるメンバーである。
宮沢賢治も物故同人として名をつらねている。
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2005年12月24日

『武井武雄 童画の世界』図録(いわき市立草野心平記念文学館)/2002年


『武井武雄 童画の世界』図録
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出版社:いわき市立草野心平記念文学館
出版年:2002.07

武井武雄は最も好きな童画家だ。
武井は、美術の世界で一段低く見られていた子供向けの挿絵を、正当に評価させるために活動した。「童画」という言葉をつくったのも武井だった。子ども相手の仕事は命がけでやらなければならないと言っていたという。
草野心平と仕事をしていたことは知らなかった。
心平の童話に武井が画を寄せた。
だが、このふたりも会うことはなかった。
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2005年12月24日

『中原中也 中也と心平の青春交友』図録(いわき市立草野心平記念文学館)/2001年


『中原中也 中也と心平の青春交友』図録
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出版社:いわき市立草野心平記念文学館
出版年:2001

中原中也は、草野心平の主宰する「歴程」の同人であった。
何かと問題の多かった中也を、心平は高く評価し、フォローしていた。心平は、中也の朗読に注目していた。
久しぶりに中也を読みたくなった。
中也は定期的に読み返したくなる数少ない詩人だ。それは、彼の詩が、「うた」だから。
個人的には、息子文也の死後の中也に興味をひかれる。
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2005年12月23日

『野口雨情 童心の詩人』図録(いわき市立草野心平記念文学館)/2000年


『野口雨情 童心の詩人』図録
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出版社:いわき市立草野心平記念文学館
出版年:2000.07

民謡詩人から出発した童謡詩人。
『十五夜お月』『七つの子』『青い目の人形』『赤い靴』『シャボン玉』などは、だれしもが一度は歌ったことがあるだろう。
永遠の童心といわれた野口雨情ではあるが、22歳で結婚し、翌年一子をもうけたにもかかわらず、忽然と姿を消す。家出だ。
その後、雨情は北へ北へと向かい、遂には樺太まで行ってしまう。
がぜん興味がわく。
ゆっくり調べてみたい。
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2005年12月22日

『宮沢賢治 賢治と心平』開館一周年記念 特別企画展 図録(いわき市立草野心平記念文学館)


『宮沢賢治 賢治と心平』開館一周年記念 特別企画展 図録
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出版社:いわき市立草野心平記念文学館
出版年:1999.07

辻潤と並んで早い時期に宮沢賢治の第一詩集『春と修羅』に注目し、紹介したのが草野心平だった。
だから、心平のまわりでは早くから賢治のことは知られていた。中原中也の日記のなかにも、賢治の名前は何度か出てくる。
その後、賢治は心平の出す同人誌の同人になってゆくのだが、ふたりが実際に会うことはなかった。尊敬しあったふたりにもかかわらず、結局ふたりの巨人が顔を合わすことはなかった。何とも人の縁は不可思議なものである。
一度だけ心平は賢治の経営する牧場で雇ってもらおうと向かった。だが、心平は乗る列車を間違えてしまい、結局花巻に行くことはなかった。このとき心平が頭に描いていた牧場は、アメリカ式の大牧場。だが、実際は猫の額ほどの「羅須地人協会」だった。

この図録は、開館一周年記念特別企画展だけあって、頁数もビジュアルも充実している。
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2005年12月22日

『草野天平 −ひとつの道−』企画展図録(いわき市立草野心平記念文学館)/1998年


『草野天平 −ひとつの道−』企画展図録
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著者名:草野天平
出版社:いわき市立草野心平記念文学館
出版年:1998

草野天平は、心平の次兄にあたる。
37歳で第一詩集『ひとつの道』を上梓。42歳で没しているので、詩人としての時間も短く、作品も少ない。
詩それ自体は、やはりこれからだったという感を否めない。
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2005年12月19日

『草野心平 常設展示図録』(いわき市立草野心平記念文学館)/1998年


草野心平 常設展示図録
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著者名:草野心平
出版社:いわき市立草野心平記念文学館
出版年:1998

いわき市立草野心平記念文学館が設立されたのは、1998年。
草野心平。カエルの詩人とも称される、日本の詩人としては珍しくスケールの大きい、大陸的な匂いのする骨太の詩人。日本の近代詩を語る上で欠かせない人物。新しい才能を発掘する才能もあり、宮沢賢治をいち早く発見紹介したのも草野心平だった。

僕はことばパフォーマーのはせみつこさんの舞台の演出で、2003年より毎年この記念館を訪れている。その度に、ここで開かれた企画展の図録を少しづつ購入してくる。それがひとつの楽しみにもなっている。
この図録は、開館時に発行されたもの。
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