2006年06月09日

『被爆二世の問いかけ〜再びヒバクシャをつくらないために』全国被爆二世団体連絡会/原水爆禁止日本国民会議 編(新泉社) /2001年


被爆二世の問いかけ


著者名:全国被爆二世団体連絡協議会
     原水爆禁止日本国民会議
出版社:新泉社
出版年:2001.07
ISBN :4787701118


現在被爆二世がかかえている問題を理解する上では、貴重な一書。
被爆二世の人にとっても、医学的なケアまで掲載されており、重要であると思う。
だが、おそらくこの本の前身となる『被爆二世〜その語られなかった日々と明日』(深川宗俊監修/広島記者団被爆二世刊行委員会 時事通信社 1972年)が出版されてから、30年経るあいだに、二世問題を提起したものがほとんど見当たらない。
それほど、二世の問題は隠されている。
二世の問題を考えるということは、それ以降の世代、三世、四世の問題を考えるということである。
一世の人たちがどんどん姿を消してゆくなか、二世以降の問題を自分の問題としてとらえることで、広島、そして長崎の問題を伝えてゆかなければならない。
そういうなかで、現在イラクで起こっている核兵器である劣化ウラン弾の問題も語られるようになる。
当然のことではあるが、核の問題はいまだ終わっておらず、深い爪あとを遺伝子レベルで刻みつづけている。
posted by NIHEI at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島・長崎

2006年05月15日

『「ヒロシマ母の記」史樹の「死」を生きて』名越操 (汐文社)/1985年


『「ヒロシマ母の記」史樹の「死」を生きて』
noimage-3.JPG



著者名:名越操
出版社:汐文社
出版年:1985


2005年12月、広島被爆三世、加藤淳のソロパフォーマンスの舞台をつくった。
そのとき考えていたのは、当然「記憶のリレー」についてであった。しかも、遅れてきた者たちにとって、そして広島から遠く離れたところの者たちにとって。
当事者である一世の人たちがどんどんいなくなっているなかで、二世、三世、四世の問題の実態は、明らかになっていない。
一世の人たちの証言の前では、頭を垂れるしかない。それほど大きな悲しみだ。正直、被爆者でもなく、広島出身者でもない僕には、自分の問題として手を出せない感が強い。一世の証言以上のものをつくり出せるとは思えない。でも、それでは一世の人たちがすべていなくなってしまったら、広島の問題も風化してしまうだろう。
そんななかで出会ったのが、この一書だ。
史樹君は、被爆ニ世にあたる。他の兄弟がなんでもないのに、彼だけ突然白血病となり、わずか7年の生涯を閉じる。
この本にもっとも衝撃を受けたのは、史樹君が僕とまったく同世代であったということだった。昔の話でも、遠い場所の話でもないということを突きつけられた。それでやっと、広島の問題を僕の問題としてとらえられるようになった。
この本から僕はかけがえのないものをもらった。

この本の前身として、今は絶版となってしまっているが、下記の本がある。僕はあまり好きな本ではない。
* 『ぼく生きたかった 被爆二世 史樹ちゃんの死』竹内淑郎編(宇野書店)

名越操さんも発病されて、今はない。
posted by NIHEI at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 広島・長崎

2005年12月15日

『原爆の絵 ヒロシマの記憶』(NHK広島放送局編) /2003年


原爆の絵



著者名:NHK広島放送局
出版社:日本放送出版協会
出版年:2003.01
ISBN :4140807520


ジャーナリズムの写真とは明らかに違う衝撃。これは、どこに由来するのだろう。
それは、「記憶」
ひとりひとりの「記憶」
「現実」の一瞬を剥ぎとるのではなく、個人の身体を通過した現実の「記憶」
これをはっきりさせてくれるのが、『原爆の絵〜ヒロシマの記憶』(NHK広島放送局編)である。
被爆57年の年に、NHK広島放送局が、広島市民にあの日の広島を描いた絵を募集した。1000枚以上の絵が寄せられた。
57年がたっても生々しく生きつづける記憶。
一般市民が描いた消えることのない強烈な記憶。
絵は、見る者たちにとっても、写真を見るときの衝撃とは別の「記憶」という回路から身体に侵入してくる。
posted by NIHEI at 03:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島・長崎
ブログ検索