2008年07月29日

『遺稿 コタン』違星北斗(草風館)/1995年


『遺稿 コタン』
225.jpg
著者名:違星北斗
出版社:草風館
出版年:1995


27歳の若さで逝ったアイヌ民族の歌人、違星北斗の遺稿集。
違星北斗もまた、アイヌ民族解放を志した歌人である。
ただ、やはりバチェラー八重子の歌と同様、その稚拙さは否めない。
ただ、散文にはキラリと光るものがある。
もし、もっと長く生きていたらアイヌ現代文学を代表する文学者になっていたかもしれない。
違星北斗の面白いのは、批判の対象が、差別者である日本人にばかり向けられるのではなく、その差別を受け入れているアイヌに向けられている点である。
アイヌとして自らも生きることが困難だった時代、そうすることで自らを励まし、歌を書いていたのかもしれない。
人間としても、愛くるしさを感じる。
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2008年07月26日

『若きウタリに』バチェラー八重子(岩波現代文庫)/2003年


若きウタリに
著者名:バチェラー八重子(著)
出版社:岩波書店
出版年:2003.12
ISBN :9784006020781


アイヌ民族出身のキリスト教伝道者であるバチェラー八重子の歌集。
初版は、金田一京助の尽力により1931年に出版されている。
その際は、写真家掛川源一郎の写真も併載されていたという。
キリスト教は、近代においてアイヌ民族のなかで微妙な影響力をもっていた。
おそらくそれは、「平等」という概念ではないかと思われる。
「旧土人」として差別されつづけたアイヌ民族。
それに最初に異を唱えたのがバチェラー八重子だった。
キリスト教伝道者として、と同時にアイヌ民族解放者としても、立派な功績を残した。
もちろん、アニミズムのアイヌ民族の宗教と、キリスト教の相容れない部分もある。
熊送りの儀式イヨマンテを八重子は野蛮なものとして批判しつづけた。
とはいえ、彼女の実績はまだまだ語り足りないように思われる。
だが、歌人としてはどうか?
個人的には、まったくいただけない。
アイヌに限らず、解放運動などの初期には、あまりに直截な表現がとられることが多い。
そのなかに、どれだけ普遍性があるかが問われるわけだが、八重子の歌にはあまりそれを感じられない。
彼女の伝道者としての活動に較べると、歌はあまりに稚拙である。
日記のような印象。
それゆえに資料的な価値はあるかもしれない。
ただ八重子の生きた時代、その時代のアイヌ民族の生活、そして何より八重子自身の生涯、これには興味をもたざるを得ない。
幼少期にキリスト教伝道師バチェラーの養女となる八重子。この行為自体、違和感を覚えるほど、謎に満ちているように思われる。
そして、八重子をとりまく人物たちの相関図もまた、その時代とアイヌ民族の縮図のように感じられ、興味は尽きない。
まだまだ調べなければならない。
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2008年07月24日

『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 水野忠夫訳(河出書房新社)/2008年


巨匠とマルガリータ
著者名:ミハイル・ブルガーコフ(著)
     水野忠夫(訳)
     池澤夏樹(編集)
出版社:河出書房新社
出版年:2008.04
ISBN :9784309709451


面白い。抜群に面白い。ハチャメチャに面白い。
こんな話を書く作家がいてくれることに感謝したい。
ブルガーコフもまた、スターリン政権下で苦しんだひとりである。
スターリンはブルガーコフの書く舞台作品を、ことのほか気に入っていたという。ブルガーコフのどこを気に入っていたかは、まったくわからない。だから、ときに絶賛され、ときに批判の矢面に立たされる。まさにいたぶられている。
そんな気分屋ともいえる、あるいは分裂病ともいえるスターリンに対抗するには、常に警戒と鉄壁の防御、そしてアイロニーを必要とした。
この『巨匠とマルガリータ』もまた、そんな複雑さで満たされている。簡単には読みとけない。が、それでもある種エンターティメントとして抜群に面白い。
「ああ、モスクワが!」と、何度叫びそうになったか。
この面白さは、ブルガーコフが舞台作品を多く手がけたことによるものだと思われる。劇作家で、そしてこれほど小説において気品高く想像力を花開かせた作家を他にあまり知らない。
それでも、この作品はスターリンの琴線に触れたと思う。ブルガーコフが、机の引き出しに隠し、書きつづけたことは正解だったかもしれない。
「原稿は燃えないものなのです」という作中の言葉も、そう簡単に解釈はできない。
悪魔が支配するモスクワの数日。そこで何が起き、それがどのように書かれているか、これは読むしかない。
水野忠夫さんの全面改訳による本書ならば、600頁にも及ぶこの長編もあっという間だろう。そして、読み終えてすぐ、悪魔の次の来訪を心待ちしている自分を発見して驚いているかもしれない。
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2008年07月22日

『磔のロシア スターリンと芸術家たち』亀山郁夫(岩波書店)/2003年第6刷


磔のロシア
著者名:亀山郁夫(著)
出版社:岩波書店
出版年:2002.05
ISBN :9784000244107


亀山さんは、もともとドストエフスキーを専攻していた。
だが、すぐれた先人たちによってドストエフスキー研究に入れる余地がなかったという。
そこで、ロシアであまり手をつけられていないロシア・アヴァンギャルド、特にフレーブニコフの研究に入る。
その後、マヤコフスキーやマレーヴィチなど、ロシア・アヴァンギャルドの研究に入ってゆくなかで、スターリンと芸術家というテーマを発見する。
これを「スターリン学」とよんだ。
その集大成が本書であり、大仏次郎賞を受賞している。
このテーマは非常に興味深い。
だが、危うい部分も或る。
このテーマで書かれた次の『熱狂とユーフォリア』、そして『大審問官スターリン』で遂にその危うさが露呈する。
その危うさは、スターリン自身を主人公として描きたいという誘惑に抗しきれないところに、よくあらわれている。
この危険なロマンチシズムを、亀山さん自身よく自覚している。
そのことは、最新刊の佐藤優氏との対談『ロシア 闇と魂の国家』(文春新書2008年)の序文に、激しく書いている。
それでも、このテーマは重要である。
多くの貴重な示唆に富んでいる。
実際に、亀山さんとは二度ほどお会いしてお話をうかがった。
とてもナイーブな人だった。そのナイーブさは先にも触れた危うさも感じさせるのだが、開かれているために不思議なバランスも感じた。
それは、本書の冒頭にもよくあらわれている。
1930年代のスターリンの大テロル時代と9.11に象徴される現在のテロとの比較。
それ以外にも、あまり紹介されない多くのロシアの芸術家を知ることができるのも貴重である。
僕が亀山さんから教えてもらって今最も興味をもっているのは、詩人のフレーブニコフ、画家のブルーベリとフィローノフ、音楽家のメトネル、そして思想家のフョードロフ。
亀山さんはいま待望のドストエフスキーの世界に戻られ、新訳の『カラマーゾフの兄弟』が大ベストセラーになっている。

手元にある亀山さんの著作は、下記のとおり。
* 『熱狂とユーフォリア』(平凡社)2003年
* 『大審問官スターリン』(小学館)2006年
* 『終末と革命のロシア・ルネサンス』(岩波書店)1993年
* 『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)1996年
* 『ロシア 闇と魂の国家』(岩波新書)2008年
* 『NHK知るを楽しむ 悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ』(日本放送出版協会)2008年

2008年07月13日

『シラオイコタン 木下清蔵遺作写真集』(アイヌ民族博物館)/1988年


『シラオイコタン 木下清蔵遺作写真集』
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著者名:木下清蔵
出版社:アイヌ民族博物館
出版年:1988


白老のアイヌの人たちを撮りつづけた木下清蔵の遺作写真集。
アイヌの古い資料写真は、ほとんど木下清蔵の写真が使われている。
それほど、木下清蔵の写真は貴重だ。
木下清蔵の写真は、静かで優しい。
被写体との距離があたたかい。
ともに生活した者への信頼がアイヌの人たちにあるのだろう。
写真としても、かつ資料としても、間違いなく一級のものだ。
そして、装丁もまたすばらしい。
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2008年07月12日

『アイヌ学の夜明け』梅原猛・藤原久和 編(小学館)/1990年


アイヌ学の夜明け
222.jpg著者名:梅原猛(編集)
     藤村久和(編集)
出版社:小学館
出版年:1990.05
ISBN :9784093900324


アイヌについては、『ユーカラ』に代表されるように言語を中心として研究されてきた。あるいは、「イヨマンテ」などの儀式、風俗、考古学などの個別の研究。
アイヌの人たちの減少、研究者の不足、それと対照的に、残された膨大な資料という現実からも推察できるように、個別の研究はなされても、アイヌ全体にまでは至っていない。
本書は、宗教をその根底にすえ、アイヌ全体を改めて見直す作業として、「アイヌ学」をかかげている。
哲学者梅原猛とアイヌ研究家の藤原久和が、アイヌをめぐる多くの人たちと対談、あるいはシンポジウムという形で話を聞いてゆく。
アイヌ研究者は、外国人が多いというのには、驚かされた。
そして、第二次世界大戦で、アーリア人を最高の民族としているドイツが極東の黄色人種である日本となぜ軍事同盟を組んだのか、その理由にアイヌが大きくかかわっていたことにも驚かされた。ヨーロッパ人にとって、日本の祖先はアイヌ民族であり、彼らは白人である、よって日本人は白人を祖先とする民族であると考えられたことによるという。アイヌ研究が海外で進んでいるのも、少なからずその考え方の影響によるという。
資料もまた、海外に多く存在しているともいう。
ここでは、国策や、その影響を受けた金田一京助らによって、日本とアイヌは民族的に無関係であるという学説をもう一度見直し、海外との共同研究を呼びかけている。
アイヌからは、哲学的思考方法まで学ぶことができることを痛感させられた。
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2008年07月11日

『アイヌ神謡集』知里幸恵 編訳(岩波文庫)/1993年21刷


アイヌ神謡集
著者名:知里幸恵(編訳)
出版社:岩波書店
出版年:2002.12
ISBN :9784003208014


「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という美しい言葉から入る『アイヌ神謡集』
なんとおおらかで、豊かなリズムだろう。
アイヌにとって、すべてのものが同じ地平に存在し、すべてに神が宿る。
その世界観は、優しく、ときにユーモラスでさえある。
本書は、アイヌ語との対訳になっており、アイヌ語の音も楽しめる。
編訳の知里幸恵は、アイヌの才女。金田一京助との出会いにより、その才能を花開かせるが、19歳という若さで逝ってしまった。
知里幸恵自身の心あたたまる脚注に、その人柄が、そしてアイヌの豊かさがうかがえる。
この豊かなアイヌを迫害し、差別し、ときに虐殺までしたのは、私たち日本人だった。私たちの祖先かもしれないにもかかわらず。
消されてゆくアイヌのその歴史のなかに、実は近代日本の暗い闇の精神性が隠されている。
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2008年07月10日

エイヘンバウム編『ペテルブルグ物語』ニコライ・ゴーゴリ 船木裕訳(群像社)/2004年


ペテルブルグ物語
著者名:ゴーゴリ(著)
     船木裕(訳)
出版社:群像社
出版年:2004.07
ISBN :9784905821267


長く生きててよかった、などと思うことなど、ほぼないといっていい。
だが、今回ゴーゴリのものをまとめて読んで、ちょっとそんな思いにかられた。
ゴーゴリは遠い昔から読みたいと思っていた。不思議なことに、それが何十年もつづいた。こんなケースは、他にない。読まなければと思って、読んでないものはたくさんある。でも、焦がれるようにして読みたいと思っていたにもかかわらず、読んでいないものなど他にはない。
ゴーゴリの『鼻』をショスタコーヴィチは、オペラにしている。
ショスタコーヴィチに魅かれていくうちに、スターリン時代の芸術家、ロシア・アヴァンギャルト、そして19世紀ロシアのものとさかのぼっていくなかで、ついにゴーゴリに出会うことができた。
新訳がではじめていることも拍車をかけた。
ゴーゴリは笑いの人といわれるが、そうは思えない。舞台作品『検察官』の影響かもしれない。舞台作品の場合、より直接的な検閲にさらされ、そしてエンターティメントとして大衆に支持されもしなければならないことから、より笑いの要素は強くなる。
だが、それはアイロニーの笑いだ。それは、小説では残酷なまでの冷たさで展開される。このアイロニーが、ショスタコーヴィチまで受け継がれている。(ショスタコーヴィチと同時代人のブルガーコフの小説には、それはより顕著にあらわれている)
このアイロニーをふくんだ世界へのまなざしこそ、現在の日本にもっとも欠けているものかもしれない。
そして、世界へのまなざしの正確さと、そこから生まれる異常な想像力。ある意味では、分裂病患者のまなざしである。
実際、彼は精神的な疾患をもち、悲惨な最期を遂げたという。
ゴーゴリは、作家生活の最初と最後に、自らの原稿を焼いている。
この異常な行動に、僕は興味をひかれてならない。
ルオーという画家も、自らの作品を大量に焼いている。
この極限の行動へかりたてる源泉を知りたい。
しばらく、ゴーゴリを読みつづける生活になりそうだ。

手元にあるゴーゴリの著作は、下記のとおり。
* 『検察官』船木裕訳(群像社)2001年
* 『結婚』堀江新二訳(群像社)2005年第二版第1刷
* 『狂人日記』横田瑞穂訳(岩波文庫)2006年第26刷
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2008年07月09日

『ロトチェンコの実験室』和多里恵津子(ワタリウム美術館)編集(新潮社)/1995年


ロトチェンコの実験室
217.jpg著者名:ワタリウム美術館(編集)
出版社:新潮社
出版年:1995.11
ISBN :9784104087013


マレーヴィチ、タトリンと並んでロシア・アヴァンギャルドを代表するアーティスト。
ロトチェンコは多彩な人だったが、主に写真家として知られ、マヤコフスキーの肖像写真は、強烈な印象が残っている。
ロトチェンコもまたスターリンの独裁から逃れられず、写真に走ったのも、その結果であった。
美術におけるロシア・アヴァンギャルドの紹介は、スターリンの独裁制の影響でまだまだ遅れている。
マレーヴィチの画集は出ているが、タトリン、ロトチェンコのものはなかなか出ていない。もっとも興味のあるフィローノフに至っては、絶望的な状況だ。
これからに期待したい。

当然のことではあるが、この『ロトチェンコの実験室』の装丁はすばらしい。
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2008年07月07日

『アレクサンドル・ブローク詩十二』川崎彰彦訳・粟津謙太郎絵(編集工房ノア)/1981年


『アレクサンドル・ブローク詩十二』
216.jpg
訳:川崎彰彦
絵:粟津謙太郎
出版社:編集工房ノア
出版年:1981


アンドレイ・ベールイとともに、ロシア象徴主義を代表する詩人、アレクサンドル・ブローク。
革命を強烈にうたいあげたブロークの詩に、マヤコフスキーら次の世代に大きな影響を与えた。
この詩『十二』も、それを代表する長詩。
どこかブレヒトの『少年十字軍』を思わせる。
だが、ブロークの名は、メイエルホリドの演出によってスキャンダルを巻き起こした1906年の『見世物小屋』で知っていた。
この『見世物小屋』を、ロシア近代演劇の幕開けと考えてもいいだろう。
それは、1918年のマヤコフスキー作、メイエルホリド演出『ミステリアブッフ』で確たるものとなる。
実験演劇の寺山修司もまた、この流れのなかにいる。
残念なことに、ブロークの著作も現在なかなか入手できない。

手元にあるブロークの著作は下記のとおり。
*『薔薇と十字架』小平武・鷲巣繁男訳(平凡社ライブラリー)/1995年
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2008年07月03日

『ボリース・パステルナーク詩集 早朝列車で1936-44』工藤正廣訳・解説(未知谷)/2004年


早朝列車で 1936‐1944
著者名:ボリース・パステルナーク(著)
     工藤正廣(訳)
出版社:未知谷
出版年:2004.10
ISBN :9784896421101


パステルナークもまた過酷なスターリン体制下を生きた詩人。
ノーベル賞を受賞していることもあってか、あるいは『ドクトル・ジバコ』がヒットしたためか、現在この国でもパステルナークのものは手に入りやすい。
本書もパステルナーク詩集全集の一冊である。
このシリーズの装丁は、すばらしい。
革命を経験し、その後生命の危機にたえずさらされたスターリン体制下の芸術家の活動は、ほんとうに興味深い。
スターリンがヒトラーのような単なるファシストではなく、絶対善の社会主義というものを背景にしながらの独裁制は、おのずと複雑な様相を呈していた。
そのなかで、抵抗と挫折を繰り返すソビエトの芸術家たちの生き方は、遠い昔のことではなく、現在のこの国の文化、政治状況と多くが重なる。
歴史を繰り返さないためにも、学ばなければならない。
余談だが、パステルナークはツヴェターエワの愛人でもあった。

手元にあるパステルナークの著作は下記のとおり。
*『ボリース・パステルナーク詩集 初期1912-1914あるいは処女詩集から』工藤正廣訳・解説(未知谷)/2002年
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2008年07月02日

『百年後のあなたへ マリーナ・ツヴェターエワの抒情詩』高山旭翻訳(新読書社)/1999年


百年後のあなたへ
著者名:マリーナ・ツヴェターエワ(著)
     高山旭(編訳)
出版社:新読書社
出版年:1999.04
ISBN :9784788070394


過酷なスターリン体制下を生きたソビエトを代表する女流詩人マリーナ・ツヴェターエワ。
18歳で華々しいデビューを飾ったものの、その後亡命を余儀なくされ、そしてふたたび祖国に戻ってまもなく、自ら悲惨な最期を遂げるツヴェターエワ。
恋多き女、ツヴェターエワ。
複雑な母親、ツヴェターエワ。
ショスタコーヴィチの声楽曲にも登場するツヴェターエワの詩。
このツヴェターエワの詩集もまた、この国ではなかなか手に入らない。
そういう意味では、ツヴェターエワの人生を追いながらの全詩集の抄訳で構成された本書は、現在貴重なものではあるだろう。
だが、訳者のツヴェターエワへの思いが強すぎはしないだろうか。これは、時々見られることである。こういったとき、訳者の自意識ばかりがこちらに向かってきて、詩それ自体が届いてこない。
残念ながら、別の訳を読みたい。
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