2008年05月30日

『ショスタコーヴィッチ 揺れる作曲家像と作品解釈』ユーラシア・ブックレット91梅津紀雄(東洋書店)/2006年


ショスタコーヴィチ
著者名:梅津紀雄(著)
出版社:東洋書店
出版年:2006.06
ISBN :9784885956317


ショスタコーヴィチの入門書。
きっともっと知りたくなる。
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2008年05月26日

『犠牲 サクリファイス わが息子・脳死の11日』柳田邦男(文春文庫)/1999年


犠牲
著者名:柳田邦男(著)
出版社:文藝春秋
出版年:1999.06
ISBN :9784167240158


これもまた辛い本である。
僕はずっと脳死についてのルポルタージュだとばかり思っていた。
まさか自分の25歳になる息子が自殺を図り、脳死に至ったこととは思ってもみなかった。
ルポルタージュ作家の柳田邦男氏は、脳死の倫理問題についても発言が多かった。
だが、息子の脳死という悲痛な状況に直面し、少しづつその考え方が変わってゆく。考え方の主体が、脳死者の家族の方へ移行してゆく。
悲しみを通じて、「だれかの問題」から「自分の問題」へ、そして「私たちの問題」へと深く広がってゆく。
冷静な筆致のなかで、その変化は感動的だ。
サクリファイスとは、亡命ロシア人監督タルコフスキーの『サクリファイス』からきている。
絶望のなかでの人々の祈りの行為を描いたこの映画のオープニングには、バッハの『マタイ受難曲』が流れる。
この本を読みながら、僕もまた『マタイ受難曲』を聞いていた。

2008年05月16日

道草4

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この「フラスコの宇宙」でも多く取りあげている、ソ連時代を代表する作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ。
僕の最も好きな作曲家である。
それが高じて、ショスタコーヴィチの交響曲でソロのダンス作品をつくれないかと思い立つ。
集団でも困難であろうショスタコーヴィチの交響曲を、ひとりで踊るということに、僕はとりつかれた。
なぜかダンス音楽でダンス作品をつくることにはまったく興味がない。
「交響曲を、ひとりのダンサーで」というところに、僕がショスタコーヴィチに魅かれている本質があるのだろう。
そして、昨年2007年7月に「小沢恵美子 DANCE WORK #01『ドミトリー・ショスタコーヴィッチSYMPHONY 10』」を上演した。
ロシア文学・文化の亀山郁夫さんにお話しを聞いたりと、さまざまな人の助けを借りて、上演することができた。
観にきた亀山さんも興奮しながら「歴史的背景をおさえて、映像などをまじえた総合的な表現として、とてもよかった。観にきてよかった」とおっしゃってくれた。
そして、今年2008年、今度はドミトリー・ショスタコーヴィッチの『SYMPHONY bS』に挑戦することとなった。
大伽藍をひとりでつくりあげてゆくような困難な作業に、連日悲鳴を上げている。
スターリン体制下の1936年に作曲されたが、初演は中止に追いこまれ、実際に初演を迎えるのは25年後という因縁をもつ、謎に満ちた『SYMPHONY bS』であるだけに、その困難さは想像を絶する。
いよいよその公演が、来週に迫りました。
世界でも例をみない、シヨスタコーヴィチの交響曲でのダンス・ソロ、きっと新しいショスタコーヴィチの発見があると思います。
ぜひ、遊びにいらしてください。


小沢恵美子 DANCE WORK #02
ドミトリー・ショスタコーヴィッチ
SYMPHONY bS

企画・出演:小沢恵美子
設計:二瓶龍彦
映像:宇田川伸一
舞台監督:田中克季
パンフレット制作:猫柳けいた+二瓶龍彦
[亀山郁夫(ロシア文学・文化論)インタビュー所収]
フライヤー・デザイン:オータ・ナオ
制作:PHILIA PROJECT(フィリア・プロジェクト)

日時 2008
5/23[金]19:30
24[土]15:00/19:00 start    開場 各30分前
会場 セッションハウス地下スタジオ
   03(3266)0461
料金 前売 \2,500
   当日 \2,800
予約・問合せ  PHILIA PROJECT
       090-8114-7652
e-mail:emikoo@pc5.so-net.ne.jp
http://www010.upp.so-net.ne.jp/AEN/
http://www012.upp.so-net.ne.jp/emiko/
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2008年05月13日

『白い道をゆく旅』岡百合子(人文書院)/1994年5刷


白い道をゆく旅
208.jpg著者名:岡百合子(著)
出版社:人文書院
出版年:1993.04
ISBN :9784409160602


岡真史の母親、岡百合子さんの焼け野原からの歳月を綴った一書。
戦後女性史としても、貴重なものとなっている。
夫の高史明さんとの生活も、高さん側の言葉とは違って、興味深く、かつ面白い。
戦後女性史の立場で書かれているため、息子の岡真史についての記述は少ないのだが、それでも感動的だ。
亡き息子の遺影の前で、岡さんは話しかけつづける。
長い時間、信じられないほど長い時間。
それでも、息子はなにも言わない。
ある日、岡さんはポツリと「どうしようもないわねぇ、この私は」とつぶやいた。
すると、「ほんとに、どうしようもないんだよ」という息子の声がかえってきた。
それから、生前のようにふたりはケンカをはじめる。
高さんが、言葉を尽くして、乗り越える、あるいは受け入れようとするのと、なんと対象的だろう。
身体としての母親の強さ、言葉にしてしまうと軽いものになってしまうが、そんなことを感じる。
高さんには、母親の記憶がない。そんなことも思い出された。
三人がそれぞれ違っている。違っているからこそ、三人の時間をのせた道は、豊かな光を放ちつづける。

岡百合子さんもまたユーモアにあふれている。
それは、高さんとはまた違う、お嬢さま育ちから生まれる痛快なものだ。
そして、岡さんの手料理はほんとうにおいしい!
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2008年05月05日

『「ことばの知恵」を超えて 同行三人』高史明(新泉社)/1983年


ことばの知恵を超えて
著者名:高史明(著)
出版社:新泉社
出版年:1993.08
ISBN :9784787793102


愛息岡真史が一冊の詩集『ぼくは12歳』を残して自死してから18年。
これも、辛い本である。
「マーちゃん」と呼びかけつづけながら、この本はすすめられる。
父親の高史明さんは、苦しみつづける。
まるで自分を痛めつけるように、これでもかこれでもかと、問いつづける。
言葉で問いつづけることで、まさに「ことばの知恵」を超えようとするように。
実は、岡真史が自死した理由は重要ではない。
なぜなら、その理由が明確だったとしても、残されたものたちにとって、長い悲痛な時間は変わらないのだから。
それでも、その理由をひとは問いつづけざるを得ない。
そして、その子の不在は変わらない。
しかし、その問いつづける態度のなかから、全く別なものが次々とあらわれてくる。
それは、ある意味では当然のことである。
問いつづけるとは、不在者との終わることのない対話なのだから。
やがて、不在の場所に、不在者があらわれる。
両親と息子、三人の対話は今もつづいている。

それにしても、高さんの粘り強さと、深い思慮と、そしてその慈悲の心には、敬服するなどという言葉もうかつにはつかえないほどのものがある。
高史明さん、岡百合子さん、そして岡真史と出会えたことは、僕にとって今後の人生を根底からひっくり返すほどの重要なものとなった。
いくら感謝しても、感謝しても足りない。

手元にある高史明さんの本は下記の通り。
* 『生きることの意味』(ちくま文庫)2006年38刷
この本は、高さんの波乱に満ちた幼少年期を綴ったもの。
自身のアイデンティを否定されつづける壮絶な人生。
それでも、その根底にはユーモアがある。
いったいこの強さはどこからくるのだろうか。
この本は、愛息岡真史のために書かれたのだが、この本の出版とほぼ時期を同じくして、岡真史は自死を遂げる。なんという神の試練だろうか。
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2008年05月03日

『いのちの行方 人間とは何か』高史明・岡百合子(径書房)/1981年


『いのちの行方 人間とは何か』
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著者名:高史明・岡百合子
出版社:径書房
出版年:1981


愛息岡真史が一冊の詩集『ぼくは12歳』を残して自死してから7年。
両親の高史明、岡百合子夫妻が語りあう。
辛い本である。
この辛い悲痛の時間を、ふたりは多くの人に助けられながら「生」の方へ向かう。
今年2008年1月に、僕はおふたりにお会いした。
このブログを掲載しているHPの運営をしているパフォーマー、オータ・ナオの公演で、岡真史を出発にパフォーマンスをつくるために。
公演にもおふたりは来てくださり、アフタートークをしていただいた。
高史明さんは、自分の子どもが死んで、悲しみのどん底にあるとき、岡真史の詩集『ぼくは12歳』を読んで悩む若者からたくさんの手紙を受けとることになる。
その膨大な量の手紙に、実際に返事を書くのは、岡百合子さんだった。
下書きをする。
いきなり書くことはできなかったという。
アフタートークのなかで、そのことにふれ、高史明さんはこうおっしゃった。
「わたしたちは自分の息子を失い、「助けてくれ!」と叫びたい。多くのお手紙を受けとるなかで、その「助けてくれ!」という叫びは、「助けに行くぞ!」という叫びにかわっていた」と。
この言葉を、今も僕は感動とともに思いだすとともに、深く胸に刻みこんて゛いる。
夫婦でも、同じこの悲しみを、それぞれ違う形で乗り越えようとしているのが興味深い。
それが、実は三人で歩んできた道を豊かにしている。
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2008年05月01日

『のらくろ漫画集(1)〜(3)』少年倶楽部文庫 田河水泡(講談社)/1975年3刷


『のらくろ漫画集(1)〜(3)』少年倶楽部文庫
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著者名:田河水泡
出版社:講談社
出版年:1975


『のらくろ』は、昭和6年から16年までの約11年間、「少年倶楽部」に連載された、日本の漫画の礎をつくった超人気漫画。
いまと違って兵隊たちが街を跋扈する昭和初期に、11年もの連載は驚異的である。
それでも、『のらくろ』の存在は知っていても、実際に読むということはなかった。(残念ながら、いま『のらくろ』は絶版になっているのではないだろうか)
読むきっかけは、乞食(ホイト)芸の黒田オサムさんから、当時のことを聞いたことによる。
戦争の足音が聞こえ、物資も不足しはじめても、「少年倶楽部」の紙の質も量も変わらなかったという。それほど飛びぬけて売れていた。
黒田さんの話によると、あまり知られていないが田河水泡は現代美術を描いていたという。そのせいか、コマ割りなど、実験的でモダンだ。黒田さんも、今ではめずらしくないが、のらくろが走る後ろに、ポッ、ポッ、ポッという動きの絵が描かれているのを見て、とても驚いたと言っていた。
田河水泡は、何度も当局に呼ばれたそうだが、日本全国の子どもたちの圧倒的な人気によって、危険な目にあうことはなかったという。逆にそこでもサインを求められたりもした。
だが、昭和16年内務省の役人から「この戦時中に漫画などというふざけたものは掲載を許さん」と言われ、打ち切りとなった。
(内務省の役人とは、誰だったのだろう。この国では、そういうことは解き明かされない)
のらくろは、その最終回で「深い考えがあって、軍隊をやめる」と言う。このとき、田河水泡の胸にはどんな思いが去来していたのだろうか。
本書は、傑作選を3巻にまとめたもの。
いま読んでも、のらくろというキャラクターは、なんとも不思議な魅力にあふれている。
それでも、兵隊ものの漫画が人気を得る時代は、やはり悲しむべきものがある。
posted by NIHEI at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画/アジア
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