2008年04月27日

『青い隕石』勅使川原三郎 荒木経惟 写真(求龍堂)1989年


青い隕石
204.jpg著者名:勅使川原三郎(著)
     荒木経惟(写真)
出版社:求龍堂
出版年:1990.01
ISBN :9784763089212


日本のダンスシーンを語る上で、重要な役割を果たしているひとり、勅使川原三郎。
勅使川原三郎は、個人的には、身体性として、土方巽からはじまる暗黒舞踏の身体を継承していると思っている。土方巽の身体としての美しさは、いうまでもなく白塗りやガニ股などの外的要因にあるのではないし、勅使川原三郎の身体の美しさもその少年的なキャラクターやお洒落な衣装にあるのではない。身体そのもの、そのありよう、そこに美しさがある。
この本には、勅使川原の言葉とデッサン、そして勅使川原を被写体とした荒木経惟の写真で構成されている。
荒木の写真の魅力は、本質的にナイーブなところにある。そのナイブさが勅使川原の身体という被写体を得て、いっそう危うく輝いている。
装丁も美しい。

手元にある勅使川原三郎に関するものは下記の通り。
* 『骨と空気』勅使川原三郎(白水社)1994年

2008年04月26日

『ねずみのアナトール』タイタス たがやたえこ やく はまだみちこえ(文研出版)/1997年17刷


ねずみのアナトール
203.jpg著者名:タイタス(著)
     たがやたえこ(訳)
     はまだみちこ(画)
出版社:文研出版
出版年:1972.07
ISBN :9784580814127


面白い。
ネズミのアナトールが、人間から迷惑がられているのを知って、名誉挽回にチーズ工場で人知れず働きはじめる。
2部構成になっているのもいい。
はまだみちこさんの絵も、日本的でなく、モダンで、まるで東欧の作家のようでいい。
それにしても、童話作家や絵本作家は、ほんとうにネズミが好きだなあ。

作者のプロフィールが載っていないのが、違和感を覚える。わずかに訳者のあとがきにアメリカ人で、一児の母親、そしてピアニストということだけが書いてある。
訳者と画家のプロフィールは、あるスペースをとって書いてあるのに、肝心の作者のプロフィールがないというのは、やはり不自然だ。

2008年04月23日

『世界がもし100人の村だったら』池田香代子再話 C・ダグラス・ラミス対訳(マガジンハウス)/2002年9刷


世界がもし100人の村だったら
著者名:池田香代子(著)
     C.ダグラス・ラミス(訳)
出版社:マガジンハウス
出版年:2001.12
ISBN :9784838713615


話題になった一書。
だれでも、これに近いことを考えたことがあるのではないか。
それが、一通のメールから多くの人を通りぬけるなかで、淘汰をうけてひとつの普遍的ともいえるものに定着する。
これは、たしかにひとつのメールというメディアの特徴であり、よいところをしめしているかとは思う。
ただ、メールの有効性は、これぐらいではないだろうか。
一歩間違えば、この本とは対極の恐ろしい形で人を殺してゆく。
最近急増している殺伐とした事件を見れば、それははっきりしている。
大事なのは、その後でも、身体をともなって人と人が向かいあうことだろう。
メールやネットを、身体を通さなくてすむ便利なメディアとしてとらえている限り、殺伐とした世界は加速してゆくだろう。
その内容とは別に、成立した過程に危うさもまた感じた。

2008年04月21日

『母と子でみる 南京からの手紙 日本は中国でなにをしたかT』早乙女勝元編(草の根出版会)/1990年2刷


母と子でみる南京からの手紙
201.jpg著者名:早乙女勝元(編集)
出版社:草の根出版会
出版年:1989.10
ISBN :9784876480708


南京への旅を、手紙形式の文章と写真で構成したもの。
以前、戦後生まれの僕と同世代の中国のドキュメンタリー映画監督班忠義さんと話したとき、少年時代の生活環境の違いに唖然とした。生活環境のなかに戦争の傷跡が生々しく残る班さんと、高度成長のなか戦争の傷跡を、その責任とともに封印してしまった日本で育った僕の生活環境は、まさに対極であった。
本書は、そういったことを、告発や糾弾という激しい形ではなく、忘れないことを祈るように優しく伝えてくれる。
そのために、手紙形式が選ばれてもいるのだろう。
この「草の根出版会」は、その名の通り、地道に息の長い仕事をしている。

日本における戦争の痕跡を追っている人に、フリーカメラマンの安島太佳由さんがいる。
彼もまた僕と同世代の戦後生まれであるが、貴重な仕事をしている。
彼はいま、日本からアジアへとそのフィールドワークを広げている。
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2008年04月20日

『写真集 南京大虐殺』「写真集・南京大虐殺」を刊行するキリスト者の会(エルビス)/1995年


写真集南京大虐殺
200.jpg著者名:写真集南京大虐殺を刊行するキリスト者の会(編集)
出版社:エルピス
出版年:1995.04
ISBN :9784900394131


2007年夏、どこの書店も、中国や朝鮮をはじめとする、アジア諸国に対する前大戦における日本軍の虐殺などの侵略があたかもなかったかのような書籍が大量に並べられていた。特に、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」については、すべて捏造であるということで結論済みという論調がほとんどだ。
この国では、こういうことは定期的に起こってきた。
論旨は、昔から変わっていない。数の問題やら、場所の問題、等々から、これらのことはなかったと。
数の問題など、国際法上の『大虐殺』に当たらないようにするための方便にしかすぎず、たとえ中国側の発表より実際は少なかったとしても、それで事実がなくなることはないし、そう主張することで明るい未来があるとも思えない。
この国ではいまだ戦争の亡霊たちが暗躍しつづけている。いつでもその犠牲者は、弱者からはじまる。強者の側にいようと弱者を排斥した多くの善良な市民が、いったいどんな運命をたどったか。
現在、戦争の亡霊たちが、露骨にまた繰り返そうと暗躍している。そして、また善良な市民(弱者)が踊らされ、殺されてゆく。ごく一部の権力を握った者たちの儲け話の犠牲者として。
「日本人が中国で何をしたか」でなくていい。「戦争で人間は何をするのか」を考えるきっかけとして、本書のようなものを消し去ってはならない。
その想像力が、現在のイラクや、アフリカで何が起こっているかにつながることを願ってやまない。
死者ひとりひとりへの想像力をもってほしい。
特に若い人は、この民主主義後進国のこの国にあって、その想像力を身につけてほしいと思う。
権力は、想像力を嫌う。
権力は、バカを好む。
権力に気に入られたと思ったら、あるいは自分が何らかの権力をもち、それを維持したいと感じたら、それは自分がバカだからと思ったほうがいいだろう。
少し乱暴になったが、その想像力、それは対話への想像力を必ず開く。
いま、この国は、内に対しても、外に対しても、対話の想像力を全く欠いてしまっている。そのための、殺伐とした事件で溢れかえっている。
この国は、想像力を失っている。
想像力のない国が、他国から尊敬されることはない。
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2008年04月19日

『眠る男 大いなる記憶』(上毛新聞社)/1995年


『眠る男 大いなる記憶』
199.jpg
出版社:上毛新聞社
出版年:1995


1996年だったろうか、僕は自分の住む群馬の田舎町を自転車で走っていた。そのとき、この田舎町には不似合いなポスターが目に飛びこんできた。それが小栗康平監督作品『眠る男』のポスターだった。
この映画は、群馬県が自治体として日本ではじめて映画製作をしたものだった。人口200万人突破記念事業として、当時の知事が箱物の建設ではなく、別のものをということで、実現した。
群馬県内で、まず公開され、入場料は500円だったと思う。僕もさっそく何十年か振りに地元の映画館に行った。会場には、たくさんのボランティアの人たちが働いていた。
素晴らしい映画だった。
時間をかけて、大切につくられていた。もちろん、群馬県の宣伝映画ではない。小栗康平監督は、知事たちに「映画」について根気よく話したという。その間、4年。
この本は、その映画制作のドキュメンタリー。
その後、こういった映画づくりの試みはされていない。
どうしてなのか。
どうして、一度きりで継続されないのか。
今では、何十年かぶりに訪れた地元の映画館も、駐車場と化している。
なんともさびしい話だ。

手元にある小栗康平監督の著作は下記の通り。
*『映画を見る眼』(NHK出版)2005年
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2008年04月18日

『Bruno Bruni』Hans Redeker/1981年


『Bruno Bruni』
198.jpg

著者名:Bruno Bruni
     Hans Redeker(編・著)
出版年:1981


たまたま洋書店で手にとったもので、ブルーノ・ブルーニのことは全く知らなかった。
どこか、僕の好きなヴンダリーッヒに似ている。
ブルーニは、1935年生まれのイタリア人。
デッサンのテクニックは抜群である。
女性の作品が多く、そこから漂うエロティシズムも、ヴンダーリッヒと通じている。
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2008年04月17日

『パレスチナとは何か』エドワード・W・サイード(岩波書店)/2003年5刷


パレスチナとは何か
著者名:エドワードW.サイード(著)
     島弘之(訳)
出版社:岩波書店
出版年:1995.08
ISBN :9784000029674


エドワード・サイードは、『オリエンタリズム』を通じて、ポスト・コロニアル理論を確立した。
サイードの魅力は、弱者、そのマイノリーティのまなざしから世界を見直すところにあることはいうまでもない。現在、世界を席巻しているアメリカのグローバリズムに対して、今でも大きな可能性と力をひめている。
それに加えて、サイードの個人的キャラクターの魅力も大きい。
この『パレスチナとは何か』は、写真家のジャン・モアとの共著といってもいい。そのなかで、サイードの隣人としての親しみは、やはり大きな魅力だ。
十年以上前の本ではあるが、今でもまったく古びていない。
それは、パレスチナの状況が悪くなることはあっても、よくなることはないことを、逆に証明しているようなものなのだが。
パレスチナへの入門書としても、お勧めの一書である。

手元にあるサイードの著作は下記の通り。
* 『知識人とは何か』(平凡社ライブラリー)2004年6刷
* 『戦争とプロパガンダ』(みすず書房)2002年3刷
* 『戦争とプロパガンダ2-パレスチナはいま』(みすず書房)2002年
* 『戦争とプロパガンダ3-イスラエル、イラク、アメリカ』(みすず書房)2003年
* 『戦争とプロパガンダ4-裏切られた民主主義』(みすず書房)2003年

2008年04月15日

『ルート181 パレスチナ〜イスラエル 旅の断章』季刊前夜別冊(影書房)/2005年


ルート181
著者名:
出版社:前夜
出版年:2005.10
ISBN :9784877143404


映画『ルート181』は、パレスチナの監督ミシェル・クレフィとイスラエルの監督エイアル・シヴァンの共同作品。
本書は、この映画『ルート181』をめぐるムック本。
「ルート181」とは、実際にある道路のことではなく、国連総会決議181の予定分割線のことである。
そのルートを辿ってゆくロードムービー的ドキュメンタリー映画。
残念ながら、映画自体はまだ観てない。
この国連総会決議181は、イスラエル建国の際の予定分割線を決定している。
このイスラエル建国自体に問題があり、それまでに「ナクバ」とよばれる多くのパレスチナ人虐殺事件が頻発している。
そのために、ルート181をたどることに問題があるという意見がある。
しかし、パレスチナとイスラエルの監督が共同で仕事をしたというところに、現在重要なポイントがあるととりたい。
少なくとも、それまでこういった動きはあまりなかったのだから、その試みを第一歩として評価したい。
ただ、映画自体を観ていないので何とも言えないのだが、批判され得る内容だったとしても、その態度と、問題化したという意味でも、評価してもよいのではないかと思っている。
スピルバーグのシンドラーや黒い旅団を扱ったユダヤ・プロパガンダ映画より、はるかに観る価値はあるだろう。
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2008年04月14日

『エルサレムの秋』アブラハム・B・イェホシュア(河出書房新社)/2006年


エルサレムの秋
著者名:アブラハムB.イェホシュア(著)
     母袋夏生(訳)
出版社:河出書房新社
出版年:2006.11
ISBN :9784309204673


イェホシュアは、イスラエルの作家。
なんと詩的で、美しい作品だろう。
行間に、悲しみと歴史が埋まっている。
収録されているのは、「詩人の、絶え間なき沈黙」と「エルサレムの秋」
特に、言葉を捨てた老詩人と言葉をもとうとする障害をもつ幼い息子との関係を扱った「詩人の、絶え間なき沈黙」は、人間としての根本部分を揺さぶられる。
イスラエルもそうだが、パレスチナにも多くのすぐれた作家がいる。
だが、この国ではあまり紹介されることがない。
そして、ノーベル文学賞をトルコの作家が受賞したりすると、驚いたりしている。
欧米中心主義が、日本をいっそう世界の文化的偏狭にしている。
僕が最も好きな、暗殺されたパレスチナの作家ガッサン・カナファーニの作品は、岩波文庫に収められていてもおかしくないにもかかわらず、いまこの国では入手困難という状況だ。
政治と経済の名のもとに、この国の文化は殺されつづけている。
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2008年04月12日

『時間と他者』エマニュエル・レヴィナス(法政大学出版局)/1996年9刷


時間と他者
著者名:エマニュエル・レヴィナス(著)
     原田佳彦(訳)
出版社:法政大学出版局
出版年:1986.01
ISBN :9784588001789


リトアニア生まれのレヴィナスは、ドイツでフッサールとハイデガーに学んだ。
第二次世界大戦中にナチスの捕虜収容所に、パリ開放まで囚われる。
その後、ハイデガー哲学と対決姿勢をとってゆく。
この『時間と他者』は、講演の記録をもとにしているため、時間を他者との関係で検討しつづけるレヴィナスの根本テーマが、他の著作に比べてわかりやすく展開されている。
それにしても、アウシュヴィッツの問題は、いまなお人間存在に多大な影響を及ぼしつづけている。
本来なら、アジアでは南京や広島・長崎などの問題を、加害国でもあるこの国の人間によって検討されなければならない。
それこそ、継続している問題として。

2008年04月10日

『星の王子さま』オリジナル版 サン=テグジュペリ 内藤濯訳(岩波書店)/2002年15刷


星の王子さま オリジナル版
著者名:サン・テグジュペリ(著)
     内藤濯(訳)
出版社:岩波書店
出版年:2000.03
ISBN :9784001156768


『星の王子さま』を読んだのは、いつの頃だったろうか。
他の多くの人とは違って、大人になってからだったと思う。
今回、あらためて読んでみて、驚いてしまった。こんなにも印象が違うとは。
そもそも、この本を再読しようと思ったのは、『ぼくは12歳』の岡真史を調べていたことによる。
『星の王子さま』の本を抱えた、小学4年生の岡真史の写真が残っている。
そんなこともあって、岡真史の両親にもお会いした。
父親の作家である高史明さんは、さかんにサン=テグジュペリについて話してくださった。
その影響だろうか、読み直した『星の王子さま』は、まったく違った様相を呈していた。
乱暴に言えば、「孤独、悲しみ、自殺」の話に思えた。岡真史のことと重なり、衝撃的だった。
最初に読んだときは、これもひねくれた読み方だが、預言者、あるいは救世主が再び訪れることを約束したにもかかわらず、訪れたときはすでに人間は滅びていたというアイロニカルなものに思えた。
すぐれた普遍的作品は、読み手の年齢、その時代、その状況で、さまざまな読み方を許容する。
子どもに読ませることをためらうほどショッキングであったが、それでも子どもたちは子どもたちなりの読み方をする。
それにしても、サン=テグジュペリの絵はいい。
世界的に読まれつづけている大きな要因だろう。
そのために、この作品はいっそうさまざまな読み方を優しく許している。

手元にある『星の王子さま』に関する本は以下の通り。
*『星の王子さまの本』星の王子さまクラブ編(宝島社)2005年

2008年04月08日

『幸福の王子』オスカー・ワイルド 曽野綾子訳 建石修志画(バジリコ)/2007年2刷


幸福の王子
著者名:オスカー・ワイルド(原著)
     曾野綾子(訳)
     建石修志(画)
出版社:バジリコ
出版年:2006.12
ISBN :9784862380364


古書店で、ふとこの本が目に入った。
それは、装丁のためだ。画を建石修志さんが担当している。
建石修志さんの幻想的な画は、よく知っている。以前、舞台のチラシを頼んだこともある。
児童書のところに建石さんの画があると、やはり目立つ。
オスカー・ワイルドの『幸福の王子』は、昔、新潮文庫で読んだのではなかったかと記憶する。
それを今、曽野綾子の新訳もさることながら、建石さんの画であらためて読むことは、何とも新鮮だった。

2008年04月07日

『おじいちゃんの口笛』ウルフ・スタルク アンナ・ヘグルンド絵 菱木晃子訳(ほるぷ出版)/2003年17刷


おじいちゃんの口笛
著者名:ウルフ・スタルク(著)
     アンナ・ヘグルンド(画)
     菱木晃子(訳)
出版社:ほるぷ出版
出版年:1995.02
ISBN :9784593503247


ウルフ・スタルクは、スウェーデンの人気作家。
なんともいい話だ。
「僕」のおじいちゃんの話を聞いて、自分もおじいちゃんがほしくなる友達のベッラ。そんなヘンなところから話がはじまる。
話の展開は小気味よく、ユーモアたっぷりで、しかも「死」の問題までふくんでいる。
スタルク自身の少年時代が下敷きになっているという。
もっとスタルクのものを読みたくなる。
めずらしい短編の名手だと思った。
アンナ・ヘグルンドのとぼけた絵もいい。

2008年04月06日

道草3

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2008年04月03日

『はたけの詩(うた)』大久保テイ子・詩 渡辺安芸夫・絵(教育出版センター)/1991年2刷


はたけの詩
190.jpg著者名:大久保テイ子(著)
出版社:教育出版センター新社
出版年:1986.12
ISBN :9784763242501


大久保テイ子さんの詩も、はせみつこ編纂『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』(飯野和好・絵)に収められている。
大久保テイ子さんの詩も『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』の舞台で、演目のひとつとなっていた。
この舞台で、日本全国をまわったとき、大久保テイ子さんの住む北海道でも上演した。
大久保テイ子さんも観にきたのだが、残念ながら僕はお会いすることができなかった。
いまとなっては、悔やまれてならない。
大久保テイ子さんの『かぶとごぼう』では、子どもたちは何ともくすぐったい笑いをもらしていた。
『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』は、絵本作家の飯野和好さんが挿絵を担当しているのだが、飯野さんの描いたかぶの絵が大久保テイ子さんそっくりだという。もちろん、飯野さんは大久保テイ子さんの顔を知らなかった。飯野さんの描く絵は、ときどきこういうことが起こる。
やはり、あのときお会いしておけばよかった。
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2008年04月01日

『ゆきふるるん』小野ルミ・詩 和田誠・絵(教育出版センター)/1991年2刷


ゆきふるるん
189.jpg著者名:小野ルミ(著)
出版社:教育出版センター新社
出版年:1990.01
ISBN :9784763242655


和田誠の画も、やはり昔からどうも馴染むことができない。
芝居のチラシなどでもよく見ていたが、やはり馴染めない。
小野ルミさんの詩は、はせみつこ編纂の『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』(飯野和好・絵)に収められている。
この『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』は、はせみつこさんの舞台になった。演出は、僕が担当している。
この演しもので、日本全国をまわった。
楽しい旅だった。
小野ルミさんのユーモアたっぷりの言葉遊びに、子どもたちは笑いに笑っていた。
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