2007年11月16日

『エルサレムの詩 イェフダ・アミハイ詩集』翻訳・村田靖子(思潮社)/2003年


エルサレムの詩
著者名:イェフダ・アミハイ(著)
     村田靖子(編訳)
出版社:思潮社
出版年:2003.12
ISBN :9784783728580


イェフダ・アミハイは、イスラエルの現代詩人。
パレスチナの詩人ダルウィーシュと比べて、意外にもはるかに平易に書かれている。
奇妙な関係の逆転を感じる。
アミハイの詩は、平易で、たしかに美しく、すぐれている。
だが、どこか引っかかる。
この平易さが引っかかる。
アミハイは、若い頃にユダヤ教を捨てている。
そのことによって、アミハイはどのポジションに立つことになったのだろうか。
本人の意思とはかかわりなく、どの立場にも立ち得なくなってしまったのではないか。
困難な世界と対峙するポジションからはずれてしまったのではないか。
そんな気がしてならない。
美しいことが、その絶望をより深める。
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2007年11月14日

『壁に描く』マフムード・ダルウィーシュ 訳・四方田犬彦(書肆山田)/2006年


壁に描く
著者名:マフムード・ダルウィーシュ(著)
     四方田犬彦(訳)
出版社:書肆山田
出版年:2006.09
ISBN :9784879956835


マフムード・ダルウィーシュは、パレスチナの現代詩人。
かつて、その詩は、軍隊一個師団にも匹敵するとイスラエルに恐れられた。
そこからもうかがえるように、初期の詩は直截なものが多かった。
しかし、この新しい詩集では、そういった直截さは消え、ある意味では難解になっている。
それは、詩を書くことの困難さをあらわす。
それは、書かれる世界の困難さをあらわす。
この困難な世界に、この思考停止をうながす世界の困難に、真正面から向き合い、詩人が新たな詩語をつむぎだすことの困難を引き受けなければ、詩さえ死んでしまう。世界とともに。
それを自覚していないものは、もはや詩人の役割を果たしえない。
それほど世界は絶望的に変貌してしまった。
それほど生命の倫理は殺されつづけた。
パレスチナはそんな世界の縮図である。
その世界と対峙するために苦しむ詩人がいれば、祈りが生まれる余地が絶望的な悲しみのなかに見出せもする。
そんな詩人がいま世界にどれほどいるだろうか。
この日本では、どうか。
たしかにいる。
たとえば、稲川方人のように。
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2007年11月02日

『道を 小道を』伊藤悠子(ふらんす堂)/2007年


道を小道を
169.jpg著者名:伊藤悠子(著)
出版社:ふらんす堂
出版年:2007.07
ISBN :9784894029361


この透徹さはどこから来るのだろうか。
存在の虚を感じる。
その存在は、肉体というと重すぎ、神経というと細すぎる。
もっと軽やかで、そして強靭な優しさ。
存在が虚をはらんでいるとしか言いようがない。
伊藤悠子さんがクリスチャンであることとも無縁ではないだろう。
その身体に寄り添うように叙情がたちあがる。

実は、この詩集におさめられている詩二編に、僕は曲をつけた。
以前から「祥子-SHOKO歌唱ライブ」を展開している。企画は、詩人の稲川方人さん。それは、稲川さんの他、瀬尾育生さん、倉田比羽子さん、守中高明さんという4人の現代詩人の詩に僕が曲をつけて、パフォーマー祥子-SHOKOが歌うという、現代詩の言葉と身体化した声との音楽的実験である。
今年の8月に上演された「歌唱ライブ」から、伊藤悠子さんの詩が加わった。
『吹いていく』」と『榎ヶ原』
出来上がった曲を聞いて、伊藤悠子さんはこう言ってくれた。
「一度聞いてしまうと、もともとこの詩にはこのメロディがあったのではないかと感じます」
うれしかった。
posted by NIHEI at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩歌/アジア
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