2006年11月26日

『アンユナイテッド・ネイションズ』瀬尾育生(思潮社)/2006年


アンユナイテッド・ネイションズ
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著者名:瀬尾育生(著)
出版社:思潮社
出版年:2006.08
ISBN :4783721548



詩人の瀬尾育生さんとはじめてお会いしたのは、2年前の祥子歌唱ライブ『悲劇の恋/歌』のときだった。
祥子歌唱ライブ『悲劇の恋/歌』は、詩人の稲川方人さんが企画したもの。倉田比羽子さん、守中高明さん、稲川方人さん、そして瀬尾育生さんの現代詩人4人が書き下ろした詩に、僕が曲をつけ、パフォーマーの祥子が歌った。ピアノ演奏は、清光美郷。音楽を介した現代詩と身体、声の実験だった。
このとき最も作曲に苦労したのが、瀬尾さんの詩だった。一見、瀬尾さんの詩はその形式からいっても、最も作曲しやすそうに見える。だが、そこには幾重にも張りめぐらされた罠が満ちている。おそらく、朗読するのも、そう困難なことではないと思わせる。つまり、瀬尾さんの詩の言語に対して、身体や声が葛藤をもたなくてもよいのではないかという錯覚を起こさせる。これは、身体や声の側から言うと、明らかな罠である。言い換えれば、そこに瀬尾さんの詩の言語の強度がある。別次元への移行を阻止するような強度。逆に言えば、身体や声が実は強烈に問われているのである。故に、身体や声が、この詩の言語との葛藤を通過せずに、ライブや朗読会、パフォーマンスを行なった場合、観客に何も残さず、読んだほうがいいという結果になる。
このライブでは、瀬尾さん作詞のものは2曲つくったのだが、さいわい好評だったようで、ホッとしている。

瀬尾さんの最新詩集『アンユナイテッド・ネイションズ』は、かなり刺激だった。もはや実験とは、詩集のなかでしか実現できないのかと思うほど、鮮烈だった。それほど、他のジャンルのものは保守化し、別の力で動いている。
この詩集は、あらゆる次元で実験が行なわれている。詩の言語それ自体はもちろんのこと、形式、そしてそこで組み上げられる世界。その世界は、現在の世界と直結している。それは、新たな普遍性をはらんでいる。
現代詩に限らず、あらゆるジャンルの表現が、岐路に立たされている。世界が岐路に立たされつづけているように。そのなかで、この詩集は、新たな指針を示している。少なくとも、ひとつの亀裂を走らせた。
詩の貧困さは、文化それ自体の貧しさを端的にあらわしている、といつも思う。今後、この詩集のような世界と直接対峙する詩が多数、しかも多面的に登場することへの期待を抱かされた。
そして、演劇人の自分もまた、どのように応答するか問われている。

瀬尾育生さんの作品で、手元にあるものは下記の通り。
* 詩集『吹き荒れる網』(弓立社)1981年
* 詩集『らん・らん・らん』(弓立社)1984年
* 詩論集『文字所有者−詩、あるいは言葉の外出』(思潮社)1988年
* 評論集『われわれ自身である寓意−詩は死んだ、詩作せよ』(思潮社)1991年
* 現代詩文庫『瀬尾育生詩集』(思潮社)1993年
* 詩論『あたらしい手の種族』(五柳書院)1996年
* 詩集『モルシェ』(思潮社)1999年
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2006年11月15日

『河村悟詩集 黒衣の旅人』(書肆あむばるわりあ)/2006年


河村悟詩集 黒衣の旅人
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著者名:河村悟
出版社:書肆あむばるわりあ
出版年:2006


詩人の河村悟さんとのおつきあいは、もうかれこれ10年以上になる。
最初にお会いしたのは、銀座の青木画廊ではなかっただろうか。
当時、渋谷に住んでいた河村さんのお宅には、詩人や美術家、舞踏家、編集者など様々な人が出入りしていた。
そこで、彼と一緒に実験的文芸同人誌『花粉』を一緒に作ったりした。
その後、彼はそこをたたみ、革のトランクひとつもって、放浪の生活に入る。かなり厳しい生活ではなかっただろうか。その間も、舞踏論や詩を書きつづけている。
興味深いのは、彼が彷徨う先で版元があらわれ、地方から本がちゃんと出版されるということだ。
やがて、河村さんは博多に拠点を見出す。そして、いまは京都にとどまっている。
今回の詩集『黒衣の旅人』は、なぜか香川県の人が版元になっている。その人は果樹園を経営しているという、
今回の詩集は、今までと違って、魂の方から身体に迫っていると感じる。その拮抗の仕方は、なぜか僕にスーフィーを想起させた。
スーフィーとは、12世紀頃起こったイスラムの異端的教えである。ギリシア哲学とイスラム教が、結びつくために限界まで拮抗した。だが、それはイスラムの世界では異端として、多くの者が処刑された。
河村さん自身は、1986年に思潮社から出版した詩集『聖なる病い』の続編のつもりで書いたと言っていた。
この詩集の出版にあたって、銀座の青木画廊で河村さんの写真展と朗読会が開かれた。
彼の朗読を聞くのは何年ぶりだろう。これもずいぶん変わったと感じる。それは、詩集を読んだときの印象と同じだ。そして、言葉はより届いていたように思う。
写真は、ポラロイドに傷を入れた作品群と、カメラを使わない光の痕跡の作品群。僕は後者を気に入っている。
河村悟という詩人は、僕にとって節目々々で大きな示唆を与えてくれる人だ。久しぶりにお会いした今回もたしかに僕は受けとったものがある。

手元にある河村悟さんの作品は下記の通り。
* 詩集『スピリチュアルタイクーンの為の舞踏メモ』(メルクリウス社)1984年
* 詩集『聖なる病い』(思潮社)1986年
(絶版のため、著者からコピーをいただいた)
* 『夜の果てへの小さな祈り』
(原稿のコピー。これは、現在も執筆中)
* 『純粋思考物体』
(生原稿のコピー。これも執筆がつづいている)
* 『花粉 bP〜bR』(メルクリウス社)1992年〜93年
* 『エンジェリック・カンバセーション 笠井叡+河村悟 対談』(リベール社)1993年
* 『毛深い砂漠を横切って』詩/河村悟 画/高松衣緒里(未来工房)1995年
* 『土方巽「病める舞姫」論 肉体のアパリシオン−かたちになりきれぬものの出現と消失』(クレリエール出版)2002年
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2006年11月12日

『ロボット(R.U.R)』カレル・チャペック(岩波文庫)/1989年


ロボット


著者名:チャペック(著)
     千野栄一(訳)
出版社:岩波書店
出版年:1989.04
ISBN :4003277422


チェコを代表する作家カレル・チャペック。
カフカはドイツ語で執筆したため、チェコの人たちにとっての真の国民的作家はこのチャペックの方だという。
最も好きな作家のひとりだ。
「ロボット」という言葉は、この作品で初めて生まれ、世界中に広がっていった。
この言葉を発明したのは、カレルの美術家の兄ヨゼフである。
構成は、労働力として生み出された人造人間が、やがて人間の抹殺を開始するというもの。これは、長編小説『山椒魚戦争』と同様、強烈な文明批判、奢った人類への警鐘である。
この本の日本での紹介は意外と早い。戦前に何度も訳され、築地小劇場でも上演されている。
世界が暗い時代に入る前の、世界が最も幸福だった時代といわれる1920年代。様々な国で新しい芸術運動が起こる。この日本もその流れのなかにあったと思うと、少しうれしくなる。
舞台も、この『ロボット』ばかりではなく、ロシア・アヴァンギャルドのものなどが上演されていた。
余談だが、僕はロシア・アヴァンギャルドのものが一番好きだ。当時の舞台は、詩人、演出家、建築家、美術家など、様々な分野の者たちが集結し舞台をつくった、まさに総合芸術だった。そのなかでも演出家メイエルホリトの舞台は、(テクストや写真でしかふれることができないが)いまでも刺激的だ。
近年、やっとヨゼフ、カレルのチャペック兄弟、あるいはチェコ・アヴァンギャルドが、書籍や展覧会という形でまとまって紹介されるようになり、当時の貴重な資料も見れるようになった。なんともうれしいことだ。
僕はなぜか東欧の芸術に魅かれる。戦前の日本のアーティストたちも大いに魅了されたように。実は、東欧の芸術はどこか日本人になじみやすいのではないか。思えば、作家安部公房を最初に紹介したのも東欧の国だった。
以前、アルメニアの役者たちと飲んだとき、彼らの口からまず出た日本の作家の名前は、「アベ・コーボー」だった。どこの国にいっても、安部公房は「コーボー・アベ」とはいわれない。必ず「アベ・コーボー」だ。
現在のアメリカグローバリズムという想像力が一方的な単純なものではない、チャペックのような作品をいま読むということは、世界をもう一度豊かに見直すことになるだろう。

手元にあるカレル・チャペックの著作は下記の通り。
* 『山椒魚戦争』(小学館 地球人ライブラリー)1994年
* 『ダーシェンカ』(新潮文庫)1998年
* 『チャペックの犬と猫のお話』(河出文庫)1998年
* 『チャペック小説選集@』(成文社)1995年
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2006年11月10日

『木を植えた人』ジャン・ジオノ(こぐま社)/1989年


木を植えた人



著者名:ジャン・ジオノ(著)
     原みち子(訳)
出版社:こぐま社
出版年:1989.10
ISBN :4772190066


日本でも大ヒットした作品。アニメーションにもなった。
荒地に木の実を植えつづける男の話。
ジャン・ジオノは、1895年フランス生まれ、
その筆致は、まるで紀行文のように淡々としている。
余計なことは書かず、教訓めいたことも書かないのが、いっそう想像力を刺激する。

手元にあるジャン・ジオノに関するものは下記の通り。
*ビデオ『木を植えた男』監督・脚色・原画/フレデリック・バック 制作/カナダ国営放送 1987年
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2006年11月06日

『ペロー童話 ながぐつをはいたねこ』スタシス・エイドゥリゲヴィチウス え/斉藤洋 やく(ほるぷ出版)/2003年


ペロー童話 ながぐつをはいたねこ
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著者名:ペロー(原著)
     スタシス・エイドリゲビシウス(画)
     クルト・バウマン(著)
出版社:ほるぷ出版
出版年:2003.01
ISBN :4593502780


スタシス・エイドゥリゲヴィチウスを知ったのは、もうずいぶん以前に、たまたま銀座のグラフィック・ギャラリーの前を通りかかり、その展覧会と出会ったときだった。終始、僕はニヤニヤしていたと思う。それ以来、すっかり彼の寓話性豊かな作品に魅了されてしまった。
スタシスは、1949年にリトアニアに生まれ、81年にワルシャワに移住している。細密画から、ブック・アート、絵画、ポスター、絵本、仮面、インスタレーション、彫刻、演劇と、彼の創作活動は多岐にわたっている。
彼のように自由に画が描けたらなあと、いつも憧れてしまう。

余談ではあるが、最近よく使う劇場に「シアターΧ」がある。そこのロビーには一枚の画がかけられている。スタシスの画だ。
シアターΧのオープニング企画は、ポーランドの前衛的演劇人ヴィトカッツィの特集だった。そのときのポスターに使われたのがそのスタシスの画だった。
プロデューサーの上田美佐子さんにお話をうかがったところによると、その企画のためにスタシスが描きおろした作品だという。劇場のロビーにかけられているのは、だから原画です。

手元にあるスタシスの著作は、下記の通り。
* 『ながいおはなのハンス』(ホルプ出版)1994年
* 世界のグラフィックデザインシリーズ『スタシス・エイドゥリゲヴィチウス』(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)1998年
* 『STASYS EIDRIGEVICIUS 224 Small Graphic Works[Bookplates]』(NDA Gallery)1992年
* 『スタシス絵本原画』(森ヒロコ・スタシス美術館)2002年
posted by NIHEI at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術/西洋
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