2006年09月20日

『苦界浄土 わが水俣病』石牟礼道子(講談社) /1970年


苦海浄土


著者名:石牟礼道子(著)
出版社:講談社
出版年:1972.12
ISBN :4061340204


この本は、水俣病に関して一冊にまとめられた最も早いものだ。
石牟礼道子さんは、水俣に住む歌人である。
当時は、センセーショナルを巻き起こしたという。
報道写真家の桑原史成さんとお会いしたときも、その衝撃について話してくれた。特に、現地の言葉をそのまま使っていることのリアルさを強調しておられた。
それでも、個人的には、あまりにも文学的すぎるように感じた。
むしろ、後の水俣病に関する発言のほうが、リアルに届いてくる。
ただ、僕が読んだものは最初のもので、後に改訂され、いまでは文庫化されているので、そのへんは修正されているかもしれない。
この本には、桑原史成さんの写真、秀島由己男さんの銅版画も使われている。
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2006年09月18日

『証言 水俣病』栗原彬編(岩波新書) /2005年


証言水俣病


著者名:栗原彬(編集)
出版社:岩波書店
出版年:2000.02
ISBN :4004306582


この本は、1996年に開かれた『水俣フォーラム展』における、水俣病患者の人たちの証言をまとめたもの。
水俣病患者の人たちの証言は、そう多くはない。聞き書きなどの生の言葉を残すのもまだまだこれからやらなければならない私たちに残された宿題だろう。
そういう意味でも、貴重な本だ。
それにしても、水俣病の人たちはなんと優しいことか。緒方正人さんなど、まるで悟りを求める修行者のようだ。
そのなかでも、網元の娘として生まれた杉本栄子さんの言葉が、胸に突きささる。
「いじめた人んこつば恨まんようにするには、どげんすればよかろうか」
水俣病は、一企業が起こした公害事件としてだけとらえては、きっとまた繰り返すことになるだろう。水俣病は、差別もふくめたもっと複雑な社会の問題を提起している。そして、その提起された問題に、私たちはまだ何もこたえていないといっていいだろう。
水俣病は、社会の問題であると同時に、ひとりひとりの人間への問いかけでもある。
そういった意味でも、患者の人たちの証言は、いまだ重要な意味をもっている。
まるで、「のさり」のように。
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2006年09月17日

『水俣病』原田正純(岩波新書) /2005年


水俣病



著者名:原田正純(著)
出版社:岩波書店
出版年:1972.11
ISBN :4004111137


水俣病の第一人者である医学博士の原田正純さんの、最も普及した水俣病に関する入門書的一書。
原因不明の奇病とよばれた水俣病の原因究明からはじまり、日本チッソの廃液が原因であると国が認めるまで。
企業や地方の行政機関、国家の都合によって翻弄された水俣病患者の人たち。
医学会も例外ではなかった。
(東大医学部の教授連中をはじめとして、どれだけの医学者がチッソ擁護のための発言を繰り返したことか。そのために、日本チッソの廃液は、発見から十年も垂れ流されつづけた)
そのなかにあって、原田さんは徹底して患者の側に立ち、患者とともに水俣病に立ち向かった。
「水俣病のことは、患者に聞け」
原田さんのこの言葉が、当時の状況、そして原田さん自身の臨床の態度、すべてを言い尽くしているだろう。

手元にある原田さんの著作は、下記の通り。
* 『水俣病は終っていない』(岩波新書)/1985年
* J・JECブックレット10『胎児からのメッセージ―水俣・ヒロシマ』(実教出版)/2000年
* 水俣ブックレット2『“負の遺産”から学ぶ〜坂本しのぶさんと語る〜』
(熊本日日新聞)/2005年

上記の『“負の遺産”から学ぶ〜坂本しのぶさんと語る〜』における坂本しのぶさんは、胎児性の患者の方です。このなかでの坂本しのぶさんの発言は、どんな水俣病の本よりも、重く、そして希望を感じさせてくれる。
坂本しのぶさんは、1972年に開かれた「ストックホルム・国連人間環境会議」に参加している。
そのとき模様を『アサヒグラフ』が特集を組んでいる。
*アサヒグラフ「坂本しのぶさん 世界に訴える―ストックホルム・国連人間環境会議への旅」1972年6月30日号
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2006年09月15日

『青い鳥』モーリス・メーテルリンク(岩波少年文庫)/1990年


青い鳥


著者名:メーテルリンク(著)
     末松氷海子(訳)
出版社:岩波書店
出版年:2004.12
ISBN :4001141205


驚愕の一書。
あまりにも有名で、内容も何となく知ってしまっていると、読む機会を逸してしまうことがしばしばある。
この世界的に有名な『青い鳥』もそんな一冊。
読んでみて驚いた。
モーリス・メーテルリンクは、ベルギーで生まれている。
そして、19世紀末から20世紀を生きた。
この時代は、近代へと移りゆく、まさに神秘主義と科学が混在するような時代。
そこからは、何とも不可思議であり、かつ重要な作品が生まれている。
すぐに思い浮かぶのが、スウェーデンのストリンドベリー。
メーテルリンクは、ストリンドベリーを否定的に見ていたらしいが、同時代性を強く感じる。
この『青い鳥』で最も驚くのは、生命観も含めたその世界認識だ。
それは、現在でも示唆に富んでいる。
そして、そんな恐るべき本を、世界中の子どもたちが読んでいるということにもまた驚かされる。
にもかかわらず、どうして世界はいまだこんなに不幸なのか。
それもまた、不可思議なことだ。
メーテルリンクは、昆虫や植物の博物学的な本も多数出している。
これもまた、時代を感じさせられる。

2006年09月11日

『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 2006』パンフレット


『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 2006』
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出版年:2006


見逃してしまったら最も後悔する舞台の筆頭として、コンテンポラリー・ダンスの第一人者ピナ・バウシュの舞台がある。
2006年は、『カフェ・ミュラー』と『春の祭典』の二本立てだった。どちらも再演だったが、ぜひ観たい舞台だった。
『カフェ・ミュラー』は、ピナ自身が踊っているにもかかわらず、ある時代が生んだ小品という印象がぬぐいきれなかった。古くなっているという印象だ。
『春の祭典』は、圧倒的だった。ピナならではの振り付けに溢れ、かつダンサーは激しく動きつづける。人間の極限を目指すかのように。
劇場から駅までの帰り道、前を歩く『春の祭典』を観た女の子たちが言っていた。
「人間て、すごい」
まさにその通りである。

手元にあるピナ・バウシュに関するものは下記の通り。
*『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 1993』パンフレット
  上演作品/『1980年―ピナ・バウシュの世界』
  『山の上で叫び声がきこえた』
*『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 1996』パンフレット
  上演作品/『船と共に』
*『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 1999』パンフレット
  上演作品/『タウリスのイフィゲネイア』
  『ヴィクトール』
  『フェンスタープッツァー』
       『ダンソン』
*『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 2003』パンフレット
  上演作品/『過去と現在と未来の子どもたちのために』
*『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 2004』パンフレット
  上演作品/『天地 TENCHI』
  『バンドネオン』
*『ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団 2005』パンフレット
  上演作品/『ネフェス(呼気)』
*『ピナ・バウシュ タンツテアターとともに』ウリ・ヴァイス(三元社)/1999年
*『ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん』ヨッヘン・シュミット(フィルム・アート社)/1999年
*ユリイカ『ピナ・バウシュの世界』1995年3月号(青土社)
*『嘆きの皇太后』ピナ・バウシュ監督作品(ユーロスペース)

2006年09月10日

総合演劇雑誌『テアトロ 戯曲 告発』1969年9月号


総合演劇雑誌『テアトロ 戯曲 告発』
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出版社:カモミール社
出版年:1969


僕が最も敬愛する劇作家は、『マラー/サド』や『ベトナム討論』で知られるペーター・ヴァイスである。
そのなかでも、『追究〜アウシュヴィッツの歌』は、記録演劇の最高峰だろう。
この作品は、フランクフルトでのアウシュヴィッツ裁判を巡っている。いまだ歴史化も不可能なアウシュビッツの問題に、果敢に挑んでいる。それは、演劇それ自体の実験がないかぎり成立しない。アウシュビッツが提起した問題は、生命のナンバリングを可能にした、まさにそれまでとは違った人間の生存の問題なのだから。つまり、それまでのドラマツルギーは、まったく通用しない。
直木賞作家高橋治氏による戯曲『告発』。
これは、水俣病を巡る戯曲である。
読みはじめると、先にあげた意味での記録演劇の可能性を感じた。
だが、残念ながらそれは前半までだった。後半は、従来のドラマツルギーによる人間模様としてまとめられてしまった。
歪められてしまった人間の生命を記録するように描き、それに徹すれば新しいものが生まれたかもしれない。
そうはいっても、エンターテイメント、「わかりやすい」ものと称して、大量消費してゆく現在のこの国の貧しく偏狭な演劇状況からすれば、新たな可能性を示すには十分だろう。
演劇とは、人間の等身大のメディアである。その演劇が、世界から、あるいは生命から遠く離れてしまって久しい。
哲学者の鵜飼哲さんは言っていた。
この国は、ショックから麻痺へ、そして思考停止になってしまったと。
いまこそ、思考の方向へ向かわなければならない。
そういう意味でも、この国の演劇は試されている。それは、この国の人間が試されているということを意味している。

2006年09月08日

こどものとも年少版272号『ぼくみつけたよ』ヰノウエ・ヨースケ(福音館書店)/1999年


こどものとも年少版272号『ぼくみつけたよ』
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著者名:ヰノウエ・ヨースケ
出版社:福音館書店
出版年:1999


ヰノウエ・ヨースケさんも、人気のある作家。
なんともかわいらしく、そしてあいらしい。
少年の目、視線が強く、そこから風景が見えてくる。


追記 2007年1月15日(月)
* 『あじのひらき』こどものとも年少版2002年12月号 井上洋介さく(福音館書店)
* 『あんなところに』こどものとも2003年10月号 井上洋介(福音館書店)

追記 2008年1月13日(日)
*    『ならんでるならんでる』こどものとも1998年11月号(福音館書店)

2006年09月07日

こどものとも539号『木』画/佐藤忠良 文/木島始(福音館書店)/2001年




著者名:佐藤忠良(画)
     木島始(著)
出版社:福音館書店
出版年:2005.07
ISBN :4834021114


彫刻家、佐藤忠良さんの木のデッサンで構成された絵本。
おそらく、詩人の木島始さんは、後からこのデッサンに詩を寄せているように思われる。
デッサン中の佐藤忠良さんの写真などもあって、楽しめる。

2006年09月04日

『魂の詩 秀島由己男展』図録(熊本県立美術館)/2000年


『魂の詩 秀島由己男展』図録
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著者名:秀島由己男
出版社:熊本県立美術館
出版年:2000



秀島由己男さんの銅版画をはじめて見たのは、群馬県桐生市にある大川美術館ではなかったかと記憶する。
「霊歌」に代表される、口をポッカリとあけた人間の群れ。
強烈な印象だった。
後に、石牟礼道子さんの著作の挿絵をはじめとする、水俣病関係に秀島さんの画はよく登場していることを知る。
秀島さん自身は、水俣病を直接描いたとはいわないが、使われるのはよくわかる。
ジャーナリズムの写真とはまた別な、普遍性がそこにあるからだ。
秀島さんは、銅版画家の浜田知明さんにプレス機をもらい、銅版画をはじめたという。(浜田さんも大好きな銅版画家の一人だ)
一点々々、時間をかけた丁寧な仕事だ。
秀島さんの作品をこのようにまとめて見られる機会はなかなかないので、この図録は貴重である。
いつか、お会いしたい人のひとりだ。
posted by NIHEI at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術/アジア
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